2020年8月19日 水曜日 | 奥出雲たたら | ![]() |
三瓶山 | ![]() |
三瓶![]() |
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島根県雲南市吉田町 ”田部家土蔵群” | 9:27〜10:15 | 11:51〜14:03 | 14:14〜15:30 | ||||||
吉田町本町、通りの中心に”田部家”がある。
享保11年(1726)にはさらにすすんで、生産面を支配統制する。
鑪(たらら)は10ヶ所にかぎる。
鍛冶屋や鉄穴場所を統制し、鉄師は8人に限った。
8人の鉄師は、特権化された代償として鑪一ヶ所につき15貫目、鍛冶場は5貫目の銀納入が定められた。
鉄師には鉄山が、鑪一ヶ所に2700町歩、鍛冶場一ヶ所に600町歩が付与されほか、
種々の援助措置がとられた。
「島根県の歴史」内藤正中著 山川出版社 昭和44年発行
これが”田部家土蔵群”。
残念ながら通りから見るだけ、
「私有地につき入らないように・・」という標識が建っている。
明治になるまで出雲地方の鉄の生産量は全国の30%を占めていた。
豊かな財力で出雲御三家と称される絲原家、桜井家、田部家の歴代当主は出雲の山奥に文化の花を咲かせていた。
田部家の祖は紀州田辺の人で、鎌倉時代出雲の吉田に土着したという。
江戸時代の初期には千石船を何隻も所有し、安来港から大坂方面に販売し巨利を得ていた。
江戸中期からの松江藩統制下に入っても、鉄師筆頭頭の地位を占めている。
奥出雲たたらの道を往く 「歴史と旅」秋田書店 昭和59年12月号
一つのたたらを経営するには木炭をつくる山林3.300ヘクタールが必要だという。
最盛期の田部家にはたたら7〜8ヶ所あったというから、
田部家が日本一の山林王と呼ばれるのもうなずける。
奥出雲たたらの道を往く 「歴史と旅」秋田書店 昭和59年12月号
田部家の隣に建つ和洋風の商工会館。
落ち着いた街並みだった。
では次、
山間のたたらの里に行こう。
2020年8月21日