2020年5月11日 月曜日 | 吉浜〜金浦 | ||||
笠岡市吉浜〜金浦 | 9:46〜11:21 |
吉浜菅原神社の「手水鉢」。
この石は、神島沖の高島から運ばれたという。
橋の左手のカキツバタ。橋のように円形に咲く。
菅原神社の眼鏡橋。
菅原神社に来た人はみんな、眼鏡橋からカキツバタを見る。
カキツバタと、すこし菖蒲の花がある天神。
今年もきれいな杜若を見ることができた。
では天神から去ろう。
天神から金浦へ向かう。
元金浦町役場から見る金浦湾。
墓原。
臨時休校中の小学生が通る。
金浦の光明院。
吉田川と久我邸。
千歳橋。
橋の東詰に「高梁川トレイル」の看板が建っていた。
トト道に関する資料
矢掛町史「行商」
魚の行商が最も多く、小田、中川、川面には笠岡の西浜から来ていた。
(矢掛町矢掛より東は玉島・寄島)
備中町史「東城-高山往来」
東城・高山往来は笠岡からの魚の運搬路として発展したものと考えてよい。
高山市の市場圏は10里四方といわれ、井原・笠岡からも送られてきた。
この地方(備中町)は古くは高山市の商圏に属していたようだ。
笠岡の近くの西浜から持ってきて売った。向こうから来るのを受けてそれを地方の商人が売ることもあった。
特に春のさわらの時「魚ブレマイ」といって近所か親類を呼んで一杯のむこともある。
成羽町史 民俗編 「トト道」
生活に必要な日用雑貨品は、玉島から高瀬舟で運ばれていた。
この川船往来とは別に、海魚が笠岡方面から吹屋へ運ばれた。
かつて古老に聞いた話であるが、
足自慢の若者が、夜半に笠岡を出て、宇土谷を経て、保木の坂から成羽へ駆け抜けた。
成羽で引き継がれた魚は、羽山街道を上って吹屋へ運ばれたという。
山の中の吹屋での最高のご馳走は海の魚、いわゆる「トト」であった。
したがって、吹屋へのこの道を「トト道」といった。
繁栄を極めた吹屋銅山の往時が偲ばれる。
竜宮荘の前。
残念ながら、この場所で開催される伝統行事”おしぐらんご”は新型コロナのため、今年は中止。
前夜の”ヒッタカ”も中止になっている。
鉄南から鉄北へ。
このあたりは金浦の中心だが、年々更地や駐車場に変わっている。
(片山虎さんの家は今、トウガキ畑だ)
新川。
今年初の真夏日、今日は川の流れが涼しい。
倉敷美観地区@アリオ〜倉敷駅〜中央通り
AB
2020年5月12日