2020年3月23日  月曜日

新聞記事から

宮城まり子が亡くなった。93歳





えいちゃんは、壷井栄風に言えば、

農村と漁村と山村を併せもった小さな村に生まれ育った。

当時は岡山県の(島を除き)最も西南の村で、どの家も貧しかった。


しかし東京の子どもは、きれいな服(←継ぎ当てでない)を着て、美味いものを(←すきっ腹に通すものでなく)を食うて、

遊び道具は買ったもの(←自分で作るのでなく)を使っている・・・・という話を、上級生たちからおしえてもらった。というか聞いていた。




しかし、ラジオで聞く

宮城まり子の歌で、東京にも貧しい子供がいることを想像した。



      「ガードの下の靴磨き」 詞・宮川哲夫
 
 
 紅い夕日が ガードを染めて
  ビルの向こうに 沈んだら
  街にゃネオンの 花が咲く
  おいら貧しい 靴みがき
  ああ 夜になっても 帰れない


   ・・・・・・

誰も買っては くれない花を
  抱いてあの娘(こ)が 泣いてゆく
  可哀想だよ お月さん
  なんでこの世の 幸福(しあわせ)は
  ああ みんなそっぽを 向くんだろ

哀愁を帯びた悲しい歌だった。

そのころ東京は、今でいえば、ロンドンやニューヨークよりも遠いところだった。







宮城まり子は、早く歌手や女優を止めて障害者の施設を作り、その道に数十年尽くしてきた。

偉大な人だったと思う。


合掌。


三愛園前の坂道



2020年3月23日