2020年10月14日   水曜日  鳥取県鳥取市鹿野町鹿野                       
鹿野    白兎海岸    湖山池    鳥取砂丘    鳥取城    笠岡   
8:54〜9:56   10:30頃    11:00頃    11:19〜11:52    12:19〜13:26    17:30着   
                       



鹿野の町には一度来てみたかった。鹿野のお城も一度は見たいと思っていた。













”文豪”と言っていいのか?

文豪を越えた、文化人か歴史家のような存在だった司馬遼太郎もここに来ている。









きわめて古いという感じでもなく、

目立った豪邸やお店もない。

けれども、なぜかホッとする空間があります。

ゆっくり歩いてみると、訪れた人だけが感じる

不思議なまち。


「街道をゆく」 司馬遼太郎









人通りは、ない。

通りは水の底のように静かで、

ときどき京格子の町屋や、白壁に

腰板といった苗字帯刀身分の屋敷などが残っている。


ぜんたいに、

えもいえぬ気品をもった集落なのである。


「街道をゆく」 司馬遼太郎






水路は、町の中を縦横無尽に流れること400年。

城主・亀井茲矩により作られた水路。














城下町を走る道は、城主亀井茲矩公が、城を築いた後に造られた。

「L字路」や「T字路」は外部からの侵入者を防いだ。



道幅や交差点は、ほぼ当時のままで残っているといわれる。







亀井茲矩(これのり)



亀井茲矩は、秀吉の二度にわたる鳥取城攻撃に功績をたて、鹿野城主としては、多くの治績が知られている。


干拓・用水路の土木工事。

湖山池の埋立、千代川の左岸に沿った22kmの用水路。


領有は13.800石から22.000石となった。

稲は南方種を栽培させ、栗や竹の植えつけを奨励し、桑・楮・漆・椿など11種類の伐採を禁止している。

海岸の夏泊には、朝鮮の役で土地の海女をつれてかえって技術をまなばせた。

馬の飼育、薬草から薬をとることも奨励した。


幕府から朱印状をもらい、三度にわたって貿易船を派遣した。(マカオ・シャム)

関ケ原では東軍に参加。その2年後石見国津和野に転封された。



「鳥取県の歴史」 山中寿夫著 山川出版社 昭和45年発行






鹿野城跡









内堀や外堀や石垣が残っている。













城跡は中学校の用地で、堀の外側から見る。








鹿野城址公園


鹿野町の基礎を築いた亀井茲矩が、戦国時代に居城し規模を拡大したお城。

春には約500本のソメイヨシノがお堀端を彩り、有数の名所となっています。


観光案内
















山中鹿之助










幸盛寺。










これが鹿之助のお墓。鹿之助の墓は、福山市や高梁市にもある。













鹿之助のお墓の隣に大きな五輪の塔、亀井茲矩公の姉のお墓。













家々の格子に”すげ笠”が付けてあった。

鹿野の特産品が、すげ笠。






特産のすげ笠。


鳥取県鹿野町

天正9年からの城下町であるが、大工町、鍛冶町、紺屋町などの地名や町割りがのこり、

伝統様式の出格子や塗屋造りの町家が点在している。

「日本の町並み集落1300」 川村善之著





街は予想していた通り、そして司馬先生の言われる通りで

静かな水の底のようであり、気品を感じる町並みでもあった。


たぶん、だれが訪れても魅力を感じるような気がした。



GoToトラベル白兎海岸





2020年10月16日