2020年10月14日   水曜日  鳥取県鳥取市   鳥取城跡                       
鹿野    白兎海岸    湖山池    鳥取砂丘    鳥取城    笠岡   
8:54〜9:56   10:30頃    11:00頃    11:19〜11:52    12:19〜13:26    17:30着   
                       




吉川経家(きっかわつねいえ)の像。

天正9年(1581)、”鳥取の渇え殺し”で有名だが、敗軍の将が城の前に立つというのも珍しい。














鳥取城は今、「中の御門」を中心にした大復元工事中。






このように、橋や櫓や門が復元される。
















鳥取城内堀と山上の丸(背後の山)。















北御門の前にある、唱歌「ふるさと」の記念碑。

岡野貞一は鳥取出身の作曲家。

作詞・高野辰之との児童唱歌は有名だが、数々の校歌(福山工業や津山商業ほか)も作曲した人。












三の丸、

「鳥取県立博物館」がある。













同じく、三の丸に「仁風閣」、

白亜の洋館。皇太子(後の大正天皇)の宿舎として建てられた。















「中仕切門 」

現在では、唯一の鳥取城の建築物。













二ノ丸、

「御三階櫓」









      



「天球丸」へ上る。
















石垣の遺構がすばらしい。






江戸時代、鳥取藩32万石の城下町。
石垣や城門が残る鳥取城跡からは市街を一望できます。
仁風閣は明治40年(1907)に建てられました。

鳥取市観光パンフ











天球丸から「巻き石垣」を見下ろす。











そして下る。





鳥取城

関ヶ原の後、鳥取城主に任命されたのは、はやくから徳川家に接近していた池田長吉(輝政の弟)であった。
六万石の地を支配した。

鳥取城は長吉になってから大改修をされた。
山上の丸、すなわち久松山頂上の本丸にあった三層の天守櫓は改築されて二層となったほか、
二の丸・天球丸などをたらたに築き、三の丸や堀を拡張あるいは整備した。

天球丸というのは、長吉の姉・天球院を住まわせたところとつたえられる。


「鳥取県の歴史」 山中寿夫著 山川出版社 昭和45年発行






















中の御門復元工事まで下りてきた。












天気が悪く、途中小雨あり、展望も期待できず

山頂には登らなかった。









妻は、

壮大な石垣に「今までのお城で、いちばんよかった」と満足した。












鳥取城近くの建築物。





「箕浦家武家門」、2000石の武家屋敷の門。









こちら「鳥取県庁舎」。

鳥取県は長く人口がいちばん少ない県を維持している。









これにて、一泊二日のトラベルのドライブ旅行は終わった。

次も鳥取県の皆生温泉を、読売旅行で予約している。



旅行会社から、いろんなツアーが新聞に掲載されているが

まだバスや鉄道のパックツアーは抵抗がある。


近場に一泊のドライブ旅行がちょうどいいと思っている。(財布の事情でもあるが)



鴨方のコスモス




2020年10月17日