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2020年10月13日 火曜日 鳥取県東伯郡湯梨浜町橋津 「橋津の藩倉」 | |||||||||||
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10:00頃 | 11:17〜12:09 | 13:20頃 | 14:01〜15:21 | 15:50頃 | 16:00着 | |||||||
橋津は日本海に近い湊町。
今は静かな海辺の町だが、江戸時代はたいそう栄えていた。
橋津
年貢として徴収した米を大坂に売りさばかなくてはならない。
米子・境のほかは、大船の寄港地としては適当でなかった。
ただし、橋津の港は、”伯州米”として知られる良質の米を収納する広大な藩倉の所在地であり、
境港から回航してきた大船に米を積み込む作業がきわめてさかんな、特殊な地位を占めていた。
橋津港に船が出入りしやすいように、藩は川筋のつけかえをした。
川船をもちいて付近の村落の年貢米を輸送する特権もゆるされていた。
中仕、船頭、水主が休息・宿泊する問屋・小宿などもあって、橋津の港は藩米の輸送との関係でさかえたのである。
「鳥取県の歴史」 山中寿夫著 山川出版社 昭和45年発行
橋津の藩倉(はんそう)を代表する、
古御蔵(こうくら)。
180年前の建築物。
藩倉のすぐ前にある公民館。
橋津藩倉
橋津集落の橋津川沿いには、鳥取藩の藩倉として利用されていた土蔵が3棟残されている。
かつての橋津村は年貢米の集積地となっており、宝暦3年(1719)頃の記録によると、12棟の蔵に4万7000俵もの米が納められ、
納米が多いため御蔵奉行が詰めていたという。
藩倉は土壁が厚く塗られた土蔵造りであるが、床下部分には土壁を設けないことで通風を確保するという独特な構造となっている。
現在では周辺の町並みも様変わりしているが、水運により栄えた地域の記憶を今に伝えている。
「日本の町並み」 山川出版社 2016年発行
片山蔵
現存する3棟のうち2棟を見たが、
全盛期の14棟時代は船も人もどのように行き交っていたのか、
その想像がしにくい程、町並みと地形が変化していた橋津だった。
2020年10月16日