2020年1月30日   木曜日      京都市下京区  角屋(すみや)                     
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国の重要文化財、島原の「角屋」。












角屋は、幕末には久坂玄瑞や西郷隆盛、新選組も訪れた。


なかでも芹沢鴨は、角屋でさんざん呑んだ帰り道に挙句、新選組同志に暗殺された。





新選組の乱闘はなかった↑、が刀傷は残る(少し意味不明)↓。















他にも芹沢鴨は角屋で事件を起こしていたようだ↓。


新選組!をめぐる京都の旅  メイツ出版

角屋

酒に酔った芹沢鴨は、
「主のもてなしが悪い」と遅さ2キロもある鉄扇を振り回して部屋中をめちゃくちゃにしたうえに7日間の営業停止処分を申し付けている。









流連事件も角屋が舞台となった。




「新選組紀行」中村彰彦著 文春文庫 平成15年発行


角屋流連事件


慶応2年1月、薩長同盟が結実した。

長崎のイギリス人武器商人のグラバーからゲベール銃三千挺、ミニエー銃四千挺を買いつけていた。

幕府軍の火縄銃は射程距離が半分以下、命中精度も低かったから、兵力は多くても歯が立たなかったのである。

しかも将軍家茂は急逝、孝明天皇は崩御した。
公武合体の二本柱が前後して倒れしてしまった。

新選組は大状況の変化に有効な手段を講じることもなく、ただ隊内の不協和音を高めるだけに終始した。

慶応3年1月1日から4日まで、永倉新八と斎藤一と伊東甲子太郎とが島原遊郭の角屋に流連して遊び続け、西本願寺の本陣へ帰ろうとしなかった。

この角屋流連事件に激怒した近藤は、永倉を憎み切腹させようとした。土方が近藤を諌め短期間の謹慎となった。
このころ新選組の「分離の気配」は伊東甲子太郎グループが漂わせた。















「新選組紀行」中村彰彦著 文春文庫 平成15年発行


自滅する隊士たち


残念なのは、新選組が藩校のような性格を帯びたにもかかわらず綱紀が粛清された気配は全く見られないことだ。

五番隊長武田観柳斎は、薩摩藩邸に出入りを見咎められて斎藤一に斬られた。

谷三十郎は慶応二年四月、不審な死を遂げた。死因不明。子母沢寛は「胸元から背中へ、一太刀ずぶりとやられて、小料理屋の板塀にしがみついて、上半身を立てて歯をむき出して死んでいる。刀には手もかけていなかった。


と描いている。















史実はどうも新選組にきびしい。


敵よりも身内を斬ったこと。

時勢を読めないこと。


それに狼藉乱暴、与太者同然であったこと。










しかし作家の見る目はまた違っていて、優しい。





「燃えよ剣」 司馬遼太郎


歳三は、だまって杯を重ねているばかりでひと言も口をきかない。

--土方はん。

と、東雲大夫が、見かねて言った。


--縁起どすさかい。
と、暁方、懇願するようにして、この客に床入りをしてもらった。


「それが」
と、東雲大夫は、あとで中居にいった。

「存外、やさしいお人どすえ」
客がそのあと、床のなかでどうふるまったか、東雲大夫は廓の躾として口外しなかったが、中居にはさまざまな想像することができた。






















「島原西門跡」。










西門跡近くの大イチョウ。













丹波口駅に着いた。



京都駅から歩いてきたが、帰りは電車に乗る。








これで、今回の「おとなびWEBパス」の鉄旅はおしまい。あとは、笠岡に帰ることだけ。




丹波口駅〜笠岡駅





2020年2月9日