2019年8月29日 木曜日 13:00頃
浅口市鴨方町鴨方
戦時中、米軍の空襲から除かれようと、政府・軍は様々な実施をした。
軍事施設は狙われるからと、地図から消した。
電球の灯りは目標にされると覆われ、夜の町や村は真っ暗闇になった。
白壁の家は空から発見しやすいと、壁を黒く塗ることが推進された。
漆喰の壁、本瓦葺で、大きな商家や庄屋造りに多い。
倉敷の美観地区は特に有名だが、以前観光ボランティアの方に「戦時中は白壁のままでしたか?」聞いてみた。
すると、
「白壁の家はほとんどありませんでした(土壁のまま)」と、ほぼ予想していたお答えだった。
少年時代の、えいちゃんの家は藁葺きで、まわりも大半が藁葺きだった。
それでも、ヒヤなどは屋根瓦で、一定部分を漆喰のおうちが点在していた。
その白壁には、決まったように黒い墨の筆で塗りまくっていた。
どこにもあった民家も、日本が豊かになるにつれ「麦藁屋根」と「黒塗り」壁の家は消えていった。
その「黒塗りの家」を何十年かぶりに発見というか、見る事が出来た。
「鴨方まちや公園」の資料館の係りの方に確認で問うと、
「そうです。戦時中に塗ったものです」との返答だった。
この↓画像は「岡山県史近代V」から借用したもの。
ノートルダム清心の鉄筋学舎を黒く塗りつぶした写真。
岡山県史によれば、
黒く塗ったので岡山大空襲から免れた。
岡山市の学校(旧制・小・中・高、その他)で空襲の被害が無かったのは、清心と真備(しんび)の2校のみだった。
2019年8月30日