2019年7月6日  土曜日     図書館    美術館   
笠岡市六番町  笠岡市立図書館    14:00〜16:00     16:30頃  
           郷土の隠れた偉人 関藤藤蔭「幕末の闘う儒学者」              



講師・栗谷川虹氏(作家)による関藤藤陰の講座がある。

聞きにいかねばなるまい。









かねてから、高校の友人Oくんより栗谷川先生の碩学に加え人間力の高さを何度も聞いていること。

藤陰が仕えた黒船来航時の老中首座・阿部正弘公の、国難への対応措置の考え方や方法に興味があった。











会場は図書館二階で、


Oくんなど、栗谷川先生の講座生徒が何人も会場に見える。









午後二時、

教育長の挨拶から始まった。




笠岡市教育長は「私は、藤陰先生と同じ吉浜に住んでいます」で始まり、


次いで、栗谷川先生は「私は、大≠ゥら吉浜の神社まで、藤陰生家前を毎日散歩していました」という縁の話しだった。














こじつけになるが、えいちゃんにも藤陰先生との縁があった。


じつは、

えいちゃんの、ひいひいばあさん(父の父の父の母)は、当時とんでもない長命で

弘化→嘉永 →安政 →万延 →文久 →元治 →慶応→ 明治→ 大正→昭和と生きて、

昭和18年に98才で亡くなった。



ひいひいばあさんは、弘化3年に吉浜村の生まれで、藤陰先生は40歳。既に阿部正弘公に仕えて3年目。


同じ村に生まれ、同じ時代を30年間共有している。その間、接点が一度くらいはなかったのだろうか?









栗谷川先生は、阿部公から千島・樺太に調査派遣された事。

阿部公が亡き後、福山城と城下町を守ったことなどを話された。






(TV笠岡放送))






・・・以下は先生の講話とは関係なし。えいちゃんの独り言・・・・









黒船から明治維新まで、約13年間。

激動のこの間の時代評価が定まっていないように感じる。



そもそも”攘夷”という時代逆行をスローガンにしての政権転覆自体が、方向性が怪しい。







武士に対し、当時の市民反応が素晴らしい。


「たった四杯で夜も眠れず」とは、どこまで冷静に世界を見えていたのだろう。




それから100年後の昭和の人は、大和魂さえあれば敵は無いと、まったくの”あきめくら”市民と化して敗戦に至った。

せっかくの教育の義務化は、洗脳化という面もあった。










(TV笠岡放送






「竹喬美術館」


2019年7月13日