2019年11月29日   金曜日



”大勲位”こと、中曽根康弘元首相が亡くなった。


享年101歳。









(年齢は父より1歳若い)


昭和22年衆院初当選だった。



その時の岡山県2区には、加藤武徳さんが初出馬。

武徳さん本人は無論だが、父も応援で自転車で笠岡や井原を駆けりまわった話をしていた。


(武徳さんは落選した)


母にとっては新憲法で選挙権を得て、初の国政の投票。







中曽根さんは以後40余年、衆議院議員。

途中、数年間首相。


引退後は国家や歴史を語っていたが、その時は今の政治家が軽すぎるように思える内容だった。










印象的なのは、


サミットで背が高かったこと。

米国とはロン・ヤスの関係だったこと。

行革と国鉄民営化。


















派閥は違うが、六月さんを評価し

大臣や党の役職に指名した。


六月さんも政治家として油が乗った時だった。








”三角大福中”という言葉と、その時代があったが

5人に共通しているのは高い”国家理念”を持っていた。




今の首相や周辺者は、低いというより、・・・そもそも持ち合わせてない、というのが情けない。









みやま公園




2019年12月2日