2019年2月11日 月曜日 | 新山 | ![]() |
吉田 | ![]() |
大井 | ![]() |
笠岡 | |||
笠岡市山口 新山公民館 | 8:30頃 | 8:50頃 | 9:09〜9:47 | 10:02〜10:54 | ||||||
「にいやま史跡探訪ウォーキング」にいやまの明治維新 |
おうちの一坪農園。
今年の初めて積雪があった。
この後、
運転に注意して新山公民館に行った。
新山小学校のグラウンドは 「にいやま史跡探訪ウォーキング」 の日は駐車場になるが、門扉が閉まっていた。
雪で中止かな?
小学校のグラウンド前にある公民館では係りの方の姿が見える。
「受付を」と案内され、済ませた。
今日は積雪のため、ウオーキングはなしで受付の部屋で講座のみ、ウオーキングは無し。
それで、講座は受けずに帰ることにした。
頂いた資料「にいやまの明治維新」には、
新山での、「ええじゃないか」や「往来の自由」などが記されている。
母が嫁に来た時、家には
父の両親、父の祖父、父の曾祖母がいて
父の祖父が元治元年(1864)生れ、父の曾祖母が弘化3年(1846)生まれで、この二人が明治維新を経験している。
なんとか江戸時代や明治維新の体験を話してないか、父や母や叔父や叔母に聞いてみたが、下記の話し一つ聞き出せただけ。
えいちゃんのひいひい祖母さん(1846〜1948)の江戸時代の話し↓
夫の富十郎は「弱虫とみじゅうろう」と村の人から呼ばれていた。
その訳は、隣村の用之江からの帰り道の峠越えが怖くて、刀を抜いて歩いていた、という話。
(富十郎は武士でなく農夫。天保3年1月14日生まれだが、没年は不明)
ひいひい祖母さんや、ひい祖父さんは明治維新の時代の変化をどう暮らしていたのだろう?
えいちゃんが思うに、
田舎の農漁村の生活に、明治維新は、ほとんど関係なかったのではなかろうか。
つい近年まで、日本人は食べることで精いっぱい。支配者が変わることよりも、日々の暮らしをどうするかだった。
曽祖父や高祖母は、たぶん笠岡や福山よりも遠方に行ったことがないだろう。
もしかしたら、笠岡も福山にも行ったことがないかもしれない。
明治維新から80年程後、”終戦”があった。
明治維新と終戦とは、庶民にどちらの影響が大きかったのだろうか?
比較にならない程、終戦の方が大きかったと思う。
なぜなら明治維新は支配層の出来事、終戦は一億全員の出来事だった。
しかも国家が国民に”総玉砕”を命じる程、地球の歴史で唯一の珍しい国だった。
そのぶん、憲法以下変革が激しかった。
そんな、いろんな事を思いながら新山を去った。
雪の吉田
2019年2月12日