2018年10月2日   火曜日           高知県宿毛市宇須々木  宿毛海軍航空隊・第21突撃隊特攻基地本部     
中村ホテル    足摺岬    竜串    栢島    海軍跡    宿毛ホテル 
9:30発   10:32〜11:03   12:12〜12:50    13:39〜14:24    16:00頃   16:30着




昭和20年日本敗戦が必至頃、

米軍の上陸が予想される地域は”竹槍訓練”に励んだ。

訓練だから「竹の槍」でなく、日本には既に鉄がなかった。勝てないことはわかっていても口にすることはできなかった。


宿毛湾には、ベニヤで造った爆弾付き一人乗りのボートが配置され、16〜17歳の少年兵が特攻隊員として必死の攻撃を待っていた。






べニヤボートは”震洋”と呼ばれ、上陸阻止のための日本海軍の最大戦力だった。

高知県内には数カ所にわたり震洋基地があった。








岩場や岩穴に隠れ、上陸用舟艇が陸に向かってきたら爆弾抱えた小船で体当たり攻撃をして死ぬべニヤボート。

終戦時には高知県や千葉県などに5.000艇程度配置されていた。









もともと宿毛湾は自然条件がよいのと、場所的に瀬戸内海の玄関口になるので軍事基地が設けられた。








宿毛湾は水深もあり、大正より日本海軍の艦隊基地の一つとなり

昭和8年には海軍航空隊も設置された。

宿毛沖の沖の島〜鵜来島間は戦艦大和の試験航行に使われた。


昭和20年3月、第21突撃隊特攻基地本部となった。


(宇須々木公民館にある宿毛教育委員会の説明版より)













これが水上機のスベリ跡。












水上機の係留場跡。















スベリから弾薬庫跡を見る。















これが弾薬庫跡。








コンクリートの塀の中に煉瓦造りの弾薬庫が見える。













コンクリート塀は実のなる植物がからまっている。
















宇須々木公民館に建つ海軍基地の説明版。
























もう一度スベリの跡に行く。

海軍跡地は宿毛市街地から数キロ離れている。













住民はここで見た、

兵器や兵隊や訓練を、話すことは禁じられていた。

極力見ないようにした。

















終戦後、解体前の軍も

日本政府も

まっさきに関連書類を焼却した。


(進駐軍はまっさきに市民から将兵までの口述調査をした←こうゆう面の差が日本には、今も残っているように思う)

















戦後、開発等で各地の軍事遺蹟がなくなったが、

ここ宿毛市宇須々木は地理的にも大きな変化がなく遺構は残った。



配置された振洋は終戦ににより出撃(=死)を免れた。










宇須々木は静かな漁師町で、

もしかしたら海軍時代がいちばん人がいたのかもしれない。当時の面影を偲べる宇須々木だった。



宿毛港



2018年10月10日