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2018年10月2日 火曜日 高知県四万十市佐田 「佐田沈下橋」 | ||||||||||
中村ホテル | ![]() |
足摺岬 | ![]() |
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海軍跡 | ![]() |
宿毛ホテル | |
9:30発 | 10:32〜11:03 | 12:12〜12:50 | 13:39〜14:24 | 16:00頃 | 16:30着 |
朝起きて中村を散策する前に、有名な佐田沈下橋に行ってみた。
ここが駐車場で、徒歩1〜2分で沈下橋に着く。
前に見える佐田沈下橋。
「では橋を渡ります」と言いたいところだけど。途中でやめときます。怖いから。
上流がわには雲海の残りも流れていい感じの朝。
前から軽トラがやってきた。
橋は有名なだけあって、笠岡市内の沈下橋とは規模と趣がまったく違う。
この川も高梁川や小田川のように、大正末期ごろまで高瀬舟が物流を担っていた。
中下流では高瀬舟の他にセンバ(舟母船)と呼ばれる帆をはった船がいた。
センバは今、舟遊びの観光船で運行している。
積み荷は木炭が主、
高瀬舟は80〜100俵、センバは140〜180俵を積んで河口の下田まで運んだ。出荷先は阪神。
センバの一回の漕業は普通三日かかる。
一日は積込みし、
二日目に下り、荷下げして一泊。
三日目に帰途に着く。
「流域をたどる歴史6・中四国編」昭和54年ぎょうせい発行
木材は筏で流していたそうだ。
中村付近では船が100艘ほど浮かび、昭和初期まで川原千軒といった船方相手の店屋が一晩中にぎわっていたそうだ。
なお、運行の危険や帰路の重労働は、ほぼ岡山県内の高瀬舟に同じ。
河原に下りて佐田沈下橋を見てみよう。
台風が去って水量は普段よりも相当多いと思う。
その、普段を知らないが
水の透明さも違ったものだろう。今朝は色も流れも濁流だった。
中村散歩@一條神社
A
2018年10月8日