2018年9月15日  土曜日                      笠岡     名古屋    笠岡  
 愛知県名古屋市中区  日本三大名城・名古屋城           5:02     7:40〜19:43     22:26 
                     





明治5年、兵部省が廃止され陸軍省と海軍省が設置されれる。城郭の管理は兵部省から陸軍省に移った。

必要な旧城郭以外の城はすべて廃城となった。


これにより存城となったのが名古屋城など41城。


存城が決まったとはいえ、城は軍隊を駐在させるためのものであった。

必要がないとされた建物は壊された。残された建物の多くも使い勝手のよいように改修されてしまった。



日本の城1000選 2012年発行 西東社






名古屋城二の丸にある「歩兵第6連隊」の記念碑。

















第6連隊は明治10年の西郷どんとの西南戦争に出陣。

以後、日清戦争・日露戦争・シベリア出兵、〜大戦中は大陸で中国で終戦を迎えた。















これは歩兵6連隊の碑文である。

昭和時代になってさえ、


威武堂々、南京武漢に転進

東亜新秩序の建設に邁進

の文字が見える。







この碑文を読んで、中国の人がどう思うだろう。

「東亜新秩序」がいったい何を意味するのか、当時も今も誰も意味不明。

ましてや”建設に邁進”の依頼や嘆願が、中国などからあったとでもいうのだろうか?




建立は昭和55年、すでに国民が周知・認知してた事実をなぜ無視した文言にしたのだろう。

他国を思いやらない国が、・・・慰安婦像等・・・相手国を非難する資格などない。













陸軍第三師団の建物は犬山市の「明治村」に移転したものが多い。





今は兵営の塀だけが残る。













師団司令部が塀越しに見えていたそうだ。



















「水資源機構中部支社」の構内になる。

出来町通りに面しているから見ながら歩く場所に位置している。







四間道



2018年9月17日