2018年8月7日   火曜日  東京都千代田区丸の内  東京駅           
日本橋    柴又    迎賓館    旧近衛師団   江戸城    東京駅    羽田    岡山 
 7:20頃    11:30頃    14:00頃    15:00頃    16:00頃    17:00頃    19:50  JAL241  21:05



江戸城大手門から出る。
















大手町から丸の内へ。




















「東京駅」と「行幸通り」。








東京駅丸ノ内本屋




煉瓦積外壁を花崗岩で引き締めた「辰野式」の集大成。



この建物を、今後も使い続け、継承していこうという結論に達したのはそれほど古いことではない。重量文化財に指定されたのも平成15年のことである。

平成19年から保存修復工事が開始され、同24年竣工。



「日本近代建築大全・東日本」講談社 2010年発行















 
駅の建設は明治41年着工、6年後の大正3年に竣工している


設計は辰野金吾、鉄骨の製作・工事は石川島造船所、その他は大林組が担当している。



中央部を皇室用の出入り口とし、南ドーム下を乗車口、北ドーム下を降車口としていた。

2.3階は南側をホテルに、北側を事務室に使っていた。



「日本近代建築大全・東日本」講談社 2010年発行

 





東京駅正面は人気の撮影スポット。



















行幸通りから皇居側を見る。




















東京駅では過去に二度、現職の首相が襲われ死亡している。




今日は、その跡を訪ねに来た。

3月に東京に来たとき、見つける事ができなかったので、そのリベンジに来た。













生憎の時間(午後5〜6時)で、駅構内は激しい人の流れ。

人を避けたり、よけたりしながら探した。




途中、原敬首相の現場は改札口の手前に気が付き、今日はあきらめた。

その代わり、ライオン宰相浜口雄幸首相の場所はなんとしても、と思った。







その願いと思いが叶い、見つけた!あった!!





床の四角形の場所が遭難現場。









昭和5年浜口首相はここで撃たれた。

この頃から、日本は狂い始めた。









それから2年経たない昭和7年5月、今度は犬養毅首相が帝国軍人に殺され、(殺人者は英雄視され)日本は発狂状態になった。

ここで、国民に冷静さが勝っていれば、日本は戦争に突入することが防げた。悲しい方向へ行ってしまった。


















羽田空港から飛行機は定刻通り飛び立った。


台風が来ていたので、朝起きた頃は心配していた。


(翌日の同フライトは休止だったかな?台風が来たから、たぶん)






6日間の長旅に出るのは滅多にないが、終わってみればあっという間だった。

帰りの飛行機も無事飛んだことと、


天気が悪い日が多かったが、そのおかげて体調が楽だった。

というのは、笠岡からずっと連日35〜36度の真夏日以上の暑い日が続いていた。

天気が悪い「東北3日間」以降は最高気温が24〜25度だった。

これは楽だった。(その間笠岡はずっと晴れ!ずっと35〜36度。)


普通旅は天気次第と言われるし、そう思っていたが、今回は悪天候に感謝した。(今年の夏は異常そのものの暑さだ)





笠岡太陽の広場の噴水



2018年8月18日