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2018年8月6日 月曜日 | 盛岡 | ![]() |
仙台 | ![]() |
上野 | ||
宮城県仙台市青葉区川内 「仙台城」 | 9:30発 | 12:17〜14:24 | 19:47着 | |||||
クラブツーリズム首都圏バス旅行 「青森ねぶた・秋田竿燈・仙台七夕3日間」 |
本丸に着いた。
正面に馬に乗った独眼竜がいるぞ。
仙台城
仙台城は標高115mの山頂に位置し、城下とは広瀬川によって隔てられて、大橋によってのみ結ばれていた。
天守は存在しなかったが、本丸は四基の三重櫓が建てられ、北面には高石垣が築かれた。
昭和20年の空襲によって焼失した大手門脇の隅櫓が昭和42年にコンクリートで復元された。
「城と陣屋総覧・東国編」学習研究社 2006年発行
名曲「荒城の月」の作詩者、
土井晩翠の胸像と詩碑。
曲と詩の、その両方が際立つ名曲・荒城の月。
春 高楼の 花の宴 めぐる杯 影さして・・・・・
晩翠の碑の前から仙台市内を望む。
独眼竜・伊達政宗騎馬像。
騎馬像前から見る広瀬川と仙台市街地。街は霧雨でぼんやり。
お城で一番人気の独眼竜の騎馬像。
堂々たる独眼竜の銅像だが・・・・・じつは、
そのお隣に、独眼竜像よりも大きな碑が建っている。
それが、「昭忠碑」。
「しょうちゅうひ」と読み、昭忠とは「忠義を明らかにするという意」と説明文がある。
なんだろう?
しかも鷲が碑の前に置いてある。
お城のガイドさんがいたので聞いてみた。
「明治35年、日清戦争の慰霊碑として建てられました。
建設に明治天皇がからんでいるので、(昭和の)戦争中も金属類供出の対象となりませんでした」とのことだった。
仙台城の跡地は「城址」「神社」「文化施設」「東北大学」」等が現在使用している。
護国神社の占める場所や影響が強すぎるように思う。
東日本震災で碑の上にあった鵄が地震のため、塔から転落した。
地上に落ちて文化財レスキュー隊が修理した後、元の場所に置かず、手前に置いたと書いてある。
「続しらべる戦争遺跡の辞典」柏書房 より転記
昭忠碑
仙台市内観光の中心地・仙台城の真ん中にそびえている。
1899(明治32)年、地方の有志と第二師団有志が「昭忠会」を組織し、昭忠標(金鵄塔)を建設した。
仙台の街々からよくみられるように設計された石碑で、天皇への忠義をあらわした碑である。
前面のパネルには「昭忠」「元帥大勲位功二級彰仁親王書」とあり、高さ20mもある碑の上部には翼の幅6.7m、重さ17.5tの羽を広げた青銅製の「金鵄」(金の鵄)の像が置かれている。
「金色の鵄(とび)」は明治天皇の「神格化」政策のもとで象徴化されたものである。
経費総計2万3200円、うち9.000円は鋳銅金鵄等の金属部分であった。
碑の脇に明治天皇からの「金一封下賜」の碑があり「金百円」と記されている。
金属供出を免れている。招魂社完成までこの場所で毎年慰霊祭が行われた。
追記・2018年9月6日
本丸から二の丸へ下りる。
「清水門址」の石垣。
「魯迅之碑」がある。
魯迅は東北大学医学部へ留学していた。
少し行くと胸像があった。
岡山県では芳井出身の内山完造との縁が有名だが、
今日は中国人女性二人が熱心に見ていた。
「長沼」と呼ばれる内堀。
この付近が三の丸で、広瀬川までつづく。
「満州事変軍馬戦没之碑」。
地下鉄「国際センター駅」に向かう。
途中、仙台国際センターの建物。広い敷地にぽつんとある。
この付近が仙台城二の丸で、東北大学キャンパスも仙台城二の丸跡。
仙台城
城は1610年に一応の完成をみ、政宗は入城を果たした。
しかし二代藩主忠宗は山頂にある不便さから山麓部に二の丸の造営を行なった。
二の丸は以後、明治の廃城まで藩政の中心だった。
バス旅行に申し込みした時、七夕見物が90分だったので、仙台城は時間的にきついなと思っていた。
仙台に着いて、添乗員さんが集合時間を言った瞬間、あせらずゆっくりと仙台城が見れるとうれしかった。
仙台城は予想していたよりはるかに規模が大きく、城の遺構も随所に残り、じゅうぶんに堪能でき満足した。
つぎ・仙台七夕@
A
2018年8月19日
追記・2018年9月6日