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2018年8月5日 日曜日 秋田県秋田市「千秋公園」 日本100名城・久保田城 | ||||||||
盛岡 | ![]() |
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秋田・竿燈 | ![]() |
盛岡 | |
10:00発 | 11:15〜12:13 | 12:46〜14:00 | 16:20〜20:48 | 深夜 | |||||
クラブツーリズム首都圏バス旅行 「青森ねぶた・秋田竿燈・仙台七夕3日間」 |
広小路を久保田城へ向かう。
噴水があるのが久保田城「穴門の掘」。
蓮が咲くのが久保田城「大手門の掘」。
掘と掘の間から登城する。
市名勝 久保田城
久保田城の特徴はなんといっても土造りの城という点である。
石材は虎口や土塁の基底部に2〜3段積むのみで基本的にはすべて土塁によって構えられている。
しかし
本丸、二の丸、三の丸が三段構えとなり、その切岸は急峻で高く、土の城ではあるが決して貧相ではなく、
むしろ壮観である。
常陸の戦国大名佐竹氏の伝統的な築城としてとらえることができる。
「日本の城」山川出版社2009年発行
「久保田城表門」、
この門は、残念ながら史実に基づかない模擬門。
更に上る。
「佐竹義堯公の銅像」
出羽久保田藩第12代(最後)の藩主。
銅像には次に説明文が建っている。
「藩主を敬愛する旧家臣が戊辰の役後50年の大正5年ここに建立した。
遺憾ながら太平洋戦争のさなか国の金属回収政策のために姿を消してしまった。
市民有志はこれを惜しみ、昭和28年小型像を奉安して往時を偲んでいた。
このたび市制100周年を迎え、その記念事業として完全なる姿で往年の「義堯公銅像」に復元したものである。
平成元年 秋田市長」
銅像ふきんから眺めると山々に白い雲がかかり、雨の気配は全くなくなった。
本丸に三層の櫓が建つ。
久保田城
関ケ原の合戦後、出羽秋田に移封された佐竹義宣は久保田城を築いた。
しかし幕府への配慮と財政上の理由から、石垣をほとんど使用せず、天守もない簡素な造りになっている。
本丸・二の丸は現在、千秋公園となっている。
本丸には表門や御隅櫓が復元されたが、資料に基ずく正確な復元ではない。
「日本の名城」山川出版社 監修・五味文彦 2016年発行
上記のように偽櫓、というか単なる「展望台」。
櫓の下から市街地を展望する。
空には夕焼けの気配すら漂う。
(三日間の旅行で「秋田竿燈」の時間がいちばん天気が良かった)
櫓に登れば秋田市街地の全貌が望めるが、時間がないのとお金を倹約して入城しなかった。
本丸から下りる。
緑豊かな市民の公園といった趣。
現在秋田市は、
お城の掘りを挟んで「芸術文化ゾーン」を再開発中。
この場所には、
ロイド眼鏡・燕尾服・直立不動、でも知られた”東海林太郎”の記念碑があった。
東海林太郎は秋田市の出身、
「国境の町」や「赤城山の子守歌」や「旅笠道中」ほか、・・・書ききれず。
代表作の一つ、
「麦と兵隊」をユーチューブより借用。
つぎ・エリアなかいち〜秋田赤レンガ館
2018年8月22日