2018年3月22日   木曜日  上映時間   12:50〜15:00 
福山市一文字町・コロナワールド   映画「北の桜守」



コロナに映画を見にきた。

小百合ちゃんが主演の「北の桜守」。









映画「北の桜守」は南樺太で起きた事を、どのように映像で表現しているのだろう?






以下「最強師団の宿命」保阪正康著2008年毎日新聞発行より転用する。








昭和20年、

8月15日当時、南樺太には民間人が40.000〜50.000人いたといわれる。












ソ連軍の攻撃に脅えた人たちは南樺太の各地から真岡や大泊などの港にむけて逃避行をつづけている。

しかし爆撃で死亡したり、
ソ連軍兵士の攻撃を前に自決する者も続出している。

真岡、大泊に上陸したソ連兵は略奪、暴行も行っている。





















昭和20年8月9日にソ連軍は満州、そして南樺太に侵攻を開始した。

ソ連軍は、空軍機を飛ばし偵察を始めるとともに砲撃を加えてきた。

同時に南樺太と北樺太の国境線で激しい戦闘も起こった。



15日まで、双方の戦闘がつづいたが、日本軍は玉音放送のあとに武装解除することになった。


8月15日以後も、ソ連軍は戦闘を止めた日本軍部隊や民間人に激しい攻撃を行っている。










そして22日になってようやく停戦交渉が成立する。

樺太の戦いに於いてなくなった将兵は約700、

邦人の戦災死1.800

留萌沖で撃沈された引揚船の死者・不明者合わせて1.700

合計4.200が尊い命を散らした」









映画の家族は、次男が引揚船で撃沈され死亡する。

夫は戦後、石ころ一つが帰った。






ソ連のスターリンは北海道の分割と占領を企てていた。






その為、

南樺太と千島列島では、日本軍の武装解除を無視して攻め寄せた。

元日本軍は戦い、住民は逃げながら・・・ともに多くの死者を出した。




樺太や千島の方々の犠牲で北海道は分割阻止できた可能性が大きい。












映画は脚本も良かったが、役者がもっと良かった。



       

サリー(岸部一徳)は重要な役を、さりげなく上手に演じていた。

名は知らないが子役二人の抑えた演技もよかった。



  
   
       
       






小百合ちゃんと堺は戦後、

母ひとり子ひとりの遺族、それぞれに懸命に生きてきた。









現地のソ連軍の蛮行は囚人兵であったのも原因の一つ、という説がある。

満州や樺太や千島の邦人はロシア兵により略奪暴行を受けた。





こうしたソ連の不法ともいうべき攻撃は未だに日本側の戦史には正確に記録されていない。


記録を残さなかったのは、日本にも責任がある。

戦争が終わって政府が最初に地方に指示したのは、書類を焼却することだった。




つぎ・東大戸辻



2018年3月23日