2017年9月27日  水曜日       群馬県安中市松井田町  碓氷峠・めがね橋 
草津    鬼押出     六里ヶ原   白糸滝    めがね橋    鉄道むら    箕輪城   前橋 
 7:20発    8:30頃    9:20頃    9:50頃    11:00頃    12:00頃    14:40頃    16:15着




白糸の滝から軽井沢を抜け、旧国道(18号線)を走る。

旧国道はカーブ、カーブの連続する下り道だった。


その峠道の途中、大きな駐車場が設けられていた。




駐車場から少し歩くとめがね橋が見えた!
















圧倒的迫力で目に飛び込んだ。















4連アーチだが「めがね橋」と呼ばれる。














めがね橋へ登ろう。





橋への道は「アブトの道」を兼ねる。














メガネ橋(碓氷峠第三橋梁)に登った。



登った場所は6号トンネルの隣。









6号トンネルから5号トンネルを見る。その間、およそ90m、高低差が6m。















5号トンネルから6号トンネルを見る。












5号トンネルを歩く人。

「アプトの道」は軽井沢の東隣、旧熊ノ平駅から横川駅までの廃線跡6kmの遊歩道。














橋は全長91m、完成したのは明治26年(1893)。

信越本線(高崎〜直江津)の最後の工事区間。











営業廃止は昭和38年。










この昭和38年頃、日本全体もそうだが

国鉄の碓氷峠越えも激変している。





蒸気機関車が廃止された。

アプト式が廃止された。

路線が300m北に付け替えられた。



































アプト式が始まる前、6kmの区間は80分掛かっていたそうだ。歩く時間よりも遅いくらい。

アプト式で47分に短縮。ジョギングのスピードだ。



トンネル内で釜焚さんも運転手さんも煤煙と熱気で、今なら耐えられない環境だったろう。
















ここがめがね橋の大駐車場。












江戸時代の中仙道の難所・碓氷峠は

近代でも難所だったことがよくわかる。






その鉄道の歴史が、今は終着駅となった横川駅に近接して「碓氷峠鉄道文化むら」で公開されている。

その文化村に行こう。










めがね橋(碓氷第三橋梁)はさまざまな指定・選定を受けている。

日本百名橋

近代化遺産

なお、世界遺産へも申請中だそうだ。




「故郷」や「朧月夜」など、かつての文部省唱歌を代表する作詞家・高野辰之。

長野県出身の高野は碓氷峠、熊野平駅からながめた紅葉を作詞したと伝えられる。


もみじ

秋の夕日に 照る山紅葉
濃いも薄いも 数ある中に
松をいろどる 楓や蔦は
山のふもとの 裾模様





つぎ・碓氷峠鉄道文化むら@A



2017年10月8日