2017年2月10日 金曜日 | 笠岡駅 | ![]() |
糸崎駅 | 〜 | 三原駅 | ![]() |
笠岡駅 | ||
三原市糸崎町 糸崎松浜遊郭跡地 | 9:23 | 10:05 | 12:33 | 13:25 | |||||
次は元・遊郭を訪ねる。
しかし、
赤線廃止から60年。
松浜遊郭は、面影を少しだけ残した住宅地と化していた。
遊郭の始りは港町。
出船・入船の港に加え、潮まち・風まち。
更には糸崎地先の埋立地の工場労働者。
多くの客で栄えたのだろう。
いくらか残る、
日陰の街並み。
路地。
格子の窓。
町内には更地が多い。
栄えた建物は撤去されたのが多いようだ、
松浜港は今、貨物船はむろん
漁船もいない。静かな港だ。
赤線廃止になった後、
女性がどうなったか?
「福山市史W」によると、
(福山市の赤線の場合)
業婦の方は、108名のうち
▽家に帰る54
▽落ちつく26
▽他の職を求める28
▽帰るところがない9
▽結婚17
▽内縁妻11
▽就職決定14
▽結婚できる5
なお、鞆町の12業婦では、1名が芸者、1名が就職し他は帰郷することになっている。
笠岡にあった赤線も、三原にあった赤線も
赤い腰巻を海に流し、
汽車に乗って町を去っていったようだ。
その日本の公娼は現在、当時若い部類の女性でも80歳を越え
(ある国の元公娼とは違い)何も発言することなく静かに老いてる。
つぎ・糸崎工場群
2017年2月11日