2017年1月25日  水曜日  10:57〜12:58       
福山市大門町大門  
           


毎日寒くて、家からようでん日がある。

今日は少しあたたいので外に出る。





正面が大門駅。

南へ進めばJFE。北、大門駅へ向かう。










これより地下道に入る。

















地下道から出ると大門駅。














寺前踏切。














郷頭山に登る。

消防詰所と、大津野小学校。





明治17年の台風では、郷頭山の麓まで波が打ち寄せ5人の死者が出ている。















幕山方面。

上ノ坊の手前にあった神原酒造の倉庫が無くなっている。
















幕山台と国道2号線をつなぐ道。

この写真の場所は元・浜街道(岡山〜倉敷〜福山)道だった。












浜街道はたいへん道路事情が悪く、

この辻堂の場所からは江戸時代〜大正時代、ほぼそのままの道が残っている。














これが浜街道(鴨方往来・笠岡街道)。河口池を通る道は大正9年完成、それまでは主要道。


「大津野のあゆみ」には、大正9年、旧国道2号線が大門を貫通する。以前は日和峠〜横道〜七隠が本村の一等道、と記されている。

 




福山市引野町史」によると、

大正4年には、福山から大門を経て笠岡に通じる道路が改修整備された。車馬の通れる幅に拡張された。

大正8年「道路法」が制定された。これに伴い福山より引野、大門を経て笠岡に通じる道が県道に認定された。



つまり、浜街道は江戸時代から大正まで車馬すら通ることができなかった。

七隠を通る道は、大正9年に県道から生活道路に格下げ。河口池の南を通る新道は昭和4年、旧山陽道に替わり国道2号線となった。



さえんで仕事中のご婦人に、かつての賑わいの話を聞いてみた。




 

萱の陰に隠れて、おいはぎや、どろぼうが出ていたそうです。

六部の人が行き倒れて、その大きな墓もあります。

 

この上の方に明智山城の跡があります。今は荒れてますが、ひらべったくなり

壺や屋根の欠片が出てきたそうです。

 

主人のお父さんは、陸軍の野砲が通りょうたのを何度もようりました。

主人が言うのは、「その頃の道は、道から左右にはみ出しても問題ないから通りょお」

 

藁を積んだ荷車が通ったり、人がにぎやかに通っていたようです。

 

わたしんちは、屋号を「おうかん屋」といいます。

そういう意味がじゃあないんかなあと思います。

 










再び、幕山台への道へ戻る。














途中の眺め、JFE方面。















坂道を登り切る手前、

峠の向う側には幕山台や伊勢丘の西日本最大級の団地が広がる。














これが、西日本最大級の団地。





壺生方面↑、春日方面↓。
















龍王社に着いた。





この祠の前は展望所で、前面の解放感がすばらしい。









沖に飛島・六島。










JFE高炉、沖に走島。









動画で見る。







つぎ・大門町東谷〜西谷A



2017年1月26日