2016年11月25日   金曜日     八丈岩 正戸山 丸山公園 
福山市御幸町岩成  正戸山公園   10:00頃 12:30頃 14:20頃 
             




これより正戸山に登る。

高さは数十メートル。向こうに要害山が見える。













おやや

ミッキーマウスが現れた。











しかも、しかも






「ようこそ正戸山へ」の歓迎横幕あり。















さらにさらに







昭和天皇の白馬が再現されてあった。





















前回は、2010年6月30日。初めて正戸山を訪れた。


正戸山は夏草の季節で、全山が草ぼうぼうだった。



↑の写真とほぼ同じ位置。








天皇はここで馬から降りて、山頂にて神辺平野での陸軍大演習を統監した。




↓の写真とほぼ同じ位置。




この時、

大演習に出席しようとしたライオン宰相・浜口雄幸は東京駅ホームで撃たれた。


川崎では、繊維会社の労働改善を訴えた「煙突男」が出現し、条件をすべて勝ち取り煙突から降りた。

男が勝ったのは、騒ぎを天皇に見られたくない措置で、その男は間もなく闇に惨殺された。



そうゆう時代。








正戸山は前回と比べてすっかり変わっていた。








眺めていると、

「正戸山を愛する会」の会員です、というおじさんが鍬やハサミを持って登ってきた。






愛する会の会員さんは次の話をされた。





愛する会の他に、消防団や小学校が参加して正戸山を綺麗にしています。

年に2〜4回清掃し、12月に最後の清掃を行います。

元旦にはここに登り初日を拝みます。およそ200人の人が集まります。


もっと展望をよくするため、次は加茂方向の木を伐採します。



















山頂のポールには鯉のぼりを掲げていました。

ところが、10月29日(日本シリーズ第6戦の日)の朝

鯉のぼりは落ちてしました。


これはどうした事かと案じていましたら

その日、カープは負けて日本一になれませんでした。








(ここに鯉のぼりがあった)






天皇の碑にあった砲弾は戦時中に供出し溶かされました。

今回整備するにあたり、愛する会・会員でもある社長が金属で再現してくれました。









(平成大学ほか)






昭和天皇が昭和5年に訪問時、

この場所は広島県深安郡上岩成村だった。



それから8年、

中津原村・森脇村・下岩成村・上岩成村が合併。


天皇の神国化が頂点と重なり、・・・勝手な予想だが・・・町名は即時に異論なく「御幸町」に決まった。










(蔵王山やフジグラン、手前に福塩線)





馬は60頭運ばれました。

そのうち、天皇が乗る馬として白い馬が4頭ありました。


天皇は4頭から選んだ馬に乗って正戸山に登りました。










(駅家、郷分方面)





この時、天皇は神辺平野の次に金光に向かった。

金光駅から(町民が振る日の丸の中を)八重山に歩く写真が残っている。


金光では(馬でなく)歩いて八重山に行ったのだろうか?

それに正戸山で天皇が乗馬の予備が一頭でなく、予備三頭ゆうのも仰々しすぎる。それがこの時代だったのだろう。













正戸山周辺は開発が進み、

かつて陸軍大演習の跡は面影もない。




「ここに駅があったらいいな」の看板がある。





ここに駅はあった。


たった一日、一度の駅がここにあった。天皇御幸の駅として。








本当は

再び、ここに駅があったらいいな。町民の駅として。だろう。








おわりに、

神辺平野にぽつんと聳える正戸山が、「愛する会」により郷土を象徴する場所として蘇っている。

展望・俳句・桜・山城・平和、正戸山はいい山だ。




つぎ・丸山公園



2016年11月28日