2016年10月12日 水曜日 11:00頃 | ||
笠岡市茂平 吉備焼 | ||
秋晴れの日に茂平の吉備焼を訪ねた。
窯元の水川さんに登り窯を案内していただいた。
正面から見る吉備焼の登り窯。
煉瓦と石で出来ている。
煉瓦は形が不揃い、これは手作りの煉瓦だそうだ。
左右に石で、これは窯をささえる補助的な役目。
窯の温度が1.200〜1.300度、煉瓦は持つが石は割れるそうだ。
かなぼこ状の窯が上に連なる。重厚感たっぷりで、まさに文化財。
窯は火がまわりやすいように(下から上に向かって)造られ、更に側面からも小穴から薪を入れる。
陶器を出し入れする口。
煉瓦のアーチ。風雪にさらされ、産業遺産に美的な感動が加味される。
吉備焼は戦前、総勢30〜40名の作業員の窯業地だった。
そのことを水川さんに聞くと、
「津之下や野々浜、茂平や大≠ゥら弁当を持って働きに来ていた」そうだ。
造るものは、大は甕や壺、小は皿まで
他に茶碗や鉢など生活用品が多かった。
最盛期の窯は更に竹藪に埋もれている。
「一度松浦組が重機で刈ってくれサッパリしたが、また竹藪に戻ってしまった」と水川さん。
この吉備焼文化財は規模が巨大であり、
”私”でなく”公”が手助けしないと自然に隠れ、そして埋もれ、、崩れるてしまう可能性がある。
吉備焼の窯は全国的にも珍しいそうだ。
というのは、
明治時代の薪を燃料とする窯。
昭和時代の石炭やガスや重油を燃料とする窯。
日本全国に焼き物産地は多いが、窯がすべてそろって残るのはないそうだ。
吉備焼が茂平で始まったのは良質の粘土があったから。
その粘土をふるいにかける跡地は前回(2016年9月1日)案内していただいた。
吉備焼の商品は今はトラックで出荷される。
以前は窯の前は海につづき、磯に丸太や角材作りの波止場があった。担いで船に乗せていた。
その海はJFEとなり、吉備焼から徒歩2〜3分でJFE笠岡門の位置になる。
かつて吉備焼の前には燧灘がどこまでもつづいていた。きれいな場所で焼物は生産されていた。
100余年つづく笠岡市の伝統産業・吉備焼。
先人の息吹が伝わってくる”登り窯”。
伝統と遺産が揃う吉備焼は、歴史と文化と観光が揃っているとも言える。
もっと光を!と思いながら水川さんと別れた。
つぎ・神島のコスモス
2016年10月14日