2016年9月9日   金曜日        常山城   秀天橋    ライフパーク倉敷 
玉野市字藤木  常山                10:37〜11:54     12:40頃    14:00頃
           


毛利との常山合戦は特に「女軍」の話が有名。


戦国時代は落城の際、

奥方・姫・腰元など、みじめ・悲惨としか言いようのない悲話が数多く残る。常山城も同じ。















これが女軍の墓。戦で死んだのは同じだが、墓は平等ではない、ちゃんと格付けがある。














宝篋印塔が二基、これは正妻と次の側室か?















残り32人は五輪の塔。

五輪の塔も大あり、中あり、小あり。





当時は領主クラス以外は墓石の習慣はなかったであろうから、遠いあの世から礼を感じているかもしれない。










常山から登った道を降りた。

山頂付近まで続いていた車道はいまだに不通。


もう復旧しないのだろうか?

城跡もちょっと荒れ、登山者が減っているように感じた。










再び登山口。

これから「秀天橋」(しゅうてんばし)に向かう。













「戸山友林」の墓。

友林は常山合戦後に城主になった。宇喜多直家の武将。







白壁の塀と、玉垣に囲まれた友林の墓。




高さ245cm、玉野市の指定文化財。













「三つ井戸」。














JR宇野線「常山駅」。

















常山の麓は玉野市字藤木という地区。







字藤木の家並みは立派な家屋敷が多い↑↓。











何の産業で栄えたのだろう?









つぎ・秀天橋(しゅうてんばし)



2016年9月12日