2015年12月7日 月曜日 10:21〜11:45
笠岡市有田
県道井原福山港線、
用之江と有田の境の峠。
その峠に稲荷さん。
峠から西に行くと惣津家がある。
江戸末期の建物。
惣津家から北周りして県道に出よう。
真っ赤な紅葉のお宅。
大きな山茶花のお宅。
大迫の常夜灯。
この常夜灯は天保の頃(1840年頃)に出来たそうだ。
県道に出た。
前の高架橋は山陽新幹線。
城見地区と大津野地区に点在する地神「社稷」。
陶山有田の「社稷」は新幹線の上にある。
ほら、ここが社稷の場所で
下はトンエルで抜けると広島県になる。
下りの新幹線が行く。
これも下りの新幹線。
このトンネル入口の北の下方に第二次大戦の遺跡があるようだ。
行ってみよう。
「陶山100選」という本によると、
昭和19年春から岡山の工兵隊が陶山小学校に寄宿し、一年近く壕を掘ったそうだ。
目的は本土決戦にそなえ、武器・食料・医薬品を貯蔵する場所。
重機は無く、手掘りで工事をして数メートルで中止。
工事中には艦載機による機銃掃射を受けた。
戦後70年経つと、その跡はわからなかった↑↓。
有田が攻撃されたとは、初めて知ったなあ。
当時、義兄は陶山小学校の疎開児童だったが、学校を兵隊たちに一部占拠された話は聞いたことがない。
後で「陶山まちきょう」に寄って尋ねてみよう。
女性の刀鍛冶「大月源」の古里。
大月家は有田の庄屋だった。
「大鳥居」は、
明治後期、道路かさ上げのため、柱が1mほど土中に埋まったそうだ。
有田の四つ堂と山陽新幹線。
四つ堂は県道井原福山港線の工事の為場所を移転したもの。
(写真右・まちきょうは閉まっていた)
有田川と田んぼ。
江戸時代の初期には、この付近まで海水が入っていた。
吉浜干拓が出来て、
吉浜・大=E有田で境界を定めたそうだが、なかなか話はつかなかったそうだ。
この付近に来るたび、
ここは有田だろうか?吉浜だろうか?大≠セろうか?
とはっきりしなかったが、妥協の産物と知れば納得もできる。
2015年12月13日