2015年9月11日   金曜日  10:28〜12:01
福山市大門町大門〜笠岡市用之江


河口(こうぐち)池と山陽本線、下りの貨物列車が行く。










明治時代、山陽線工事が始まる時

大津野村では河口池が半分線路に取られ、村民は田んぼの用水不足になると反対運動をした。


その結果河口池は、もう一つ池が出来て上下の河口池がある。









河口池と上りの電車。最近は7〜8割が黄色の電車だ。












まだ旧2号線当時、河口池ふきんは林が繁り暗かった。怖いくらいだった。





現在はシャープ福山工場があり、写真右にはラブホテルもある。


















河口池を過ぎる頃の国道2号線。ここで石原裕次郎が映画ロケをした。

「憎いあんちきしょう」という映画で、裕ちゃんが来るので話題になったが学校があり見には行けなかった。






まもなくして、

新旧の2号線は分かれる。











瘡守(かさもり)さんの前を行く下りの電車。




瘡守(かさもり)さんの祭りは、

それはそれは、にぎやかじゃった。今では大半の大門町民も知らんだろうな、あの賑わいを。












野々浜の旧国道2号線。
















寺の前踏切。

駅が近いので、この踏切は棒ではっとーばりされると、けっこう長かった。





子供の頃、踏切の西側に踏切番の小屋があった。

番小屋で遊ぶ子がいて、そうゆう遊びが出来る子がうらやましかった。














大門駅はホームが曲がり、

位置が高いところにあった。今もだが。


蒸気機関車の時代の貨物列車は、振りを付けなと登れない事があった。






上りは大門の八幡さん、下りは河口池までバックしてから上りだしていた。その時は最大の汽笛を鳴らした。



ぼっぼっおおおおおおおおおおおお

しゅわーっヴぉおおおおおおおお。



あれほど大きな汽笛は大門駅でしか聞いたことはない。




















寺の前踏切から大門駅までは町並みを成していた。

今は櫛が抜けた街道に変わった。郷頭山にあった大津野小中学校は移転している。跡地には、保育所と公民館がある。

















大門駅には上り下りの列車が入った。


















大門駅前。駅前には「三角屋」という食堂を兼ねた宿屋があった。家も食堂も三角形だった。















大門駅前から西谷へ。





惣堂神社の参道石段。
















まっすぐ行けば山陽線をくぐり国道2号線に出る。







大門八幡さん。

この擁壁部分には波が来ていたそうだ。たぶん、江戸時代初期の本庄重政による新田開発で陸地化したのだろう。
















これが八幡さん。






去年の秋、

福山東部図書館から大門駅まで旧2号線を通った。その時は、ここ八幡さんまでだった。

それで今回はココで止める。



ほんの近年まで笠岡〜大門間の道は、道と呼べるほどの道はなかったのがわかる。

逆に言えば人も物流も海運・水運が主で、陸道は海の予備程度の利用だったのだろう。




つぎ・鴨方駅周辺@A



2015年9月13日