2015年9月11日   金曜日  10:28〜12:01
福山市大門町大門〜笠岡市用之江


4日前に来た大門町大門で、

次は旧浜街道を辿ってみようと思った。


区間は大門西谷・八幡さんから笠岡市用之江の菅原神社下まで。


この区間には現在の国道2号線と、

旧2号線(浜街道・鴨方往来)と、

それ以前の笠岡街道、この現・前・元の福山〜笠岡道が混じって興味深い。






出発は前回と同じで、福山市大門町大門の東谷の元・神原酒造前。
















現在は「大門幕山道路」,昔の「笠岡街道」を兼ねる。これより東に向かい笠岡市用之江に行く。



















福山市立大津野小学校。


















大門幕山道路から見るJFE。

















道路わきにある「辻の堂」。



















大門幕山道路。正面は明智山城跡。

写真右端に白い車が見えるが、元福山〜笠岡道の「笠岡街道」となる。





ここで右折する。













笠岡街道は西谷にある八幡さんまで幕山大門道路と重なる。


幕山大門道と分れる。

ここからは原形をとどめる「笠岡街道」となる。
















細い生活道路として、山の中腹につづいている。


















この道は「笠岡街道」とも「七隠」とも呼ばれる道。


















七隠の意味するところは、道が曲がりくねり人の姿が自然と隠れるからだろう。











こんな山中の道であっても、少なくとも江戸時代中期までは北側の山陽道に対して海側のメイン道路であった。


江戸時代の中期に笠岡〜福山間の「浜街道」は完成したとされるが、それは笠岡市吉浜道(湾頭ふきん)を指ている。

備後・備中の国境はこの道が正規の浜街道だったのであろう。


大正の末頃、旧浜街道は整備され昭和4年に鴨方往来(浜街道)が・・・(矢掛や神辺の)旧山陽道から・・・国道2号線に指定された。








明治・大正ごろまでは、これでも主要道。前面に大見山が見えてきた。











「野々浜むかし語り」という本には、


「笠岡に行く道は、大正頃に改修されて今の国道筋を通るようになった。

それ以前は七隠れと呼ばれる悪路だった。」という古老の話が載っている。










明治・大正までは、この道が鴨方往来だった。ようだ。







街道脇の六部供養碑(いちばん左)など。
















何度も曲がる「七隠」。


















やがて国境を越えて用之江に着いた。









つぎ・大門〜用之江道A



2015年9月13日