2015年8月4日 火曜日 福井県敦賀市金ヶ崎町 史跡金ヶ崎城跡 | |||||||
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笠岡(着) | |
6:14〜9:20 | 10:00〜10:40 | 11:30頃 | 18:00 |
正月に義理の弟や甥のドクロで酒宴をした織田信長、
その発端になった金ヶ崎の退陣の舞台にやってきた。
この事件(浅井長政の謀反)がなければ、織田信長の天下統一は3〜4年は早まったものと思える。
また逆にというか、それゆえにドクロが盃代わりになるほど憎かったのもわかる気がする。
金ヶ崎城は古くからの城で、新田義貞が篭ったこともあり、地形も要塞の地。
現在はふもとの金前寺に大きな駐車場やカンバンやトイレがある(↑2枚が金前寺)
少し登ると「金崎宮」があり、ここにも駐車場がある。
この金崎宮は春には大変な桜の名所のようだ。山の半分が桜だ。
「建武中興650年記念碑」。
後醍醐天皇による建武中興(建武新政)650年の碑。福井県が発祥の熊谷組・前田建設・敦賀セメントが大口の寄付をしている。
金崎宮からは遊歩道。
遊歩道から見える敦賀市街地。
丸い建物が「きらめきみなと館」その後ろが市民会館。
海と敦賀半島。
半島は敦賀市と美浜町からなり、半島のとんさきに「もんじゅ」がある。
「もんじゅ」から西へ50kmが世界最大の”原発密集村”。
手前、隠れているが新日本海フェリーの小樽行きが発着する。
こうゆう遊歩道が金ヶ崎城をすぎても手筒山城までつづいている。
金ヶ崎城の本丸に当たる「月見御殿」が見えてきた。
ここが「月見御殿」、
下は絶壁だ。
「皇太子殿下」の記念碑もある。
この皇太子は、後の大正天皇のこと。
浅井長政の謀反により挟み撃ちされた織田軍だが、
木下藤吉郎の活躍で危機を脱した。小説などでは藤吉郎の出世話に必ず登場する「金ヶ崎の殿軍」の舞台に来ることができた。
つぎ・気比の松原
2015年8月11日