2015年8月3日 月曜日 石川県加賀市橋立町 船主集落・加賀橋立 | |||||||||||
千里浜 | ![]() |
安宅関 | ![]() |
加賀橋立 | ![]() |
東尋坊・三国湊 | ![]() |
丸岡 | ![]() |
福井((泊) | |
5:30 | 7:10頃 | 8:00頃 | 9:17〜11:34 | 12:30頃 | 14:12〜 |
「加賀橋立」に着くと大きな駐車場があった。
その向かい側に大邸宅が見えた。
加賀橋立は港町だが、船主の邸宅が10軒程度残り国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。
江戸時代中期から明治30年頃まで物流の一端を担っていた「北前船」の船主で、遭難等の高い危険に対し利益も大きく大邸宅が町並みとなっている。
北前船は北海道から大阪まで北まわり航路で航海し、途中湊に寄りながら、往復していた。
船主は頼まれた荷を運搬するのでなく、自ら荷物を買い取り、売さばきながら湊に寄っていた。巨万の富も当然だろう。
蔵六園・旧北前船船主酒谷家の屋敷。
正面から見る蔵六園。大邸宅。
入場料は400円、はいりませんでした。
浄土真宗橋立支院。
明治初期の大火後船主たちが再建した。
「ジゲ浜と北前船」の碑。
すぐ下がジゲ浜で、ここで
北前船と小船が荷物の積み替えをしていたそうだ。
その碑には、橋立には船主の他に乗組員も住んでいたとある。
北前船は明治30年代に鉄道、汽船という運送手段が現れ
電信が発達し、荷もつの相場さやでの利益が不可能になったりして廃船化されていった。
岡山県ではその頃、高瀬船が廃れていった。
日本海が荒れるので
北前船は冬の半年間くらいは航海しなかったそうだ。
明治の近代化の前には、半年間の操業不可能な北前船は消えてゆくしか道は無かったようだ。
2015年8月10日