2015年8月1日  土曜日          岐阜県大野郡白川村      (世界遺産白川郷合掌造集落)        
郡上八幡    白川村    雨晴海岸    七尾城跡     七尾市   輪島(泊)
6:14〜7:24    9:07〜10:25     12:00頃    14:00頃   15:00頃     18:00〜



郡上八幡インターから白川郷インターを目指す。




東海北陸自動車は交通量が多かった。

夏休み、土曜、晴れ。

東京・名古屋・関西の人すべてがこの道を走ってレジャーに行っているのかと思える程だった。




けどそれも、高山方面への出口を過ぎると交通量は激減していった。



しかし、

それからの道はトンネル、トンネル、またトンネルがつづいた。



最初のトンネルで「10のトンネルがつづきます」といういうような道路標識があった。

それで、トンネルを入るごと「一つ」「二つ」・・・・、と数えながらトンネルに入った。


やっと「十(じゅう)」となったが、そのトンネルの長いこと、長い事。一つのトンネルで10コぶんの長さのトンネルだった。











そうして、ようやくトンネルを抜け出て、光り輝く、白川村に下りてきた。

道標により「せせらぎ公園」大駐車場に車を停めた。









こりゃーーーすごいところに来たなあ。ここはさすがに世界遺産だわ。それに空気も違う。そう思った。









心が躍るようだった。









地図を貰ってまず庄川を渡る。




ゆれる橋で、こわごわと渡った。












橋から河原を見ると、はだかんばちで水遊びの子供がいる。

















橋から見る合掌集落。




















「であい橋」を渡って最初の合掌造りの家々。


















ここが白川村か!











白川郷は元来、田地に恵まれない雪深い貧しい土地柄である。

江戸中期の森林伐採禁止令で山稼を有力な副業としてきた白川郷の領民たちは、生計維持のため他の収入の道を求め養蚕が盛んとなった。

分家禁止による大家族制が養蚕業の労働力を支えた。「第一法規出版・日本の町並み第五巻中部編」














すばらしい景観だ!!









 

白川郷の大家族

 

明治38年遠山家は人数34にして、配偶者を有する者は戸主と従弟の二人のみ。

他の男女は無配偶にして、庶子・私生児有するもの少なからず。

 

史料によると「文化」頃から戸数が固定している。次男以下に妻をむかえなくなった。

 

養蚕が盛んで、「男の子が生まれると牛飼いが出来た、女の子が生まれると桑摘みが増えたと祝った」。


岐阜県の歴史」による。








どの道を歩こうかな?

西通りを歩いて和田家の方へ行こう。


















ほとんどの家は観光に関すること(旅館・土産・食事等)をしているようだ。

















何所を向いても絵になる白川郷。
















白川郷の本通り。

正面が「荻町城跡展望台」。


















重文・和田家ふきん。



















和田家から見る白川郷。


















和田家の横から荻町城跡展望台への道が始まる。










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2015年8月9日