2015年7月31日   金曜日       長野県木曽郡南木曽町      妻籠宿                   
笠岡発    妻籠    馬篭    岩村    端浪(泊)     
 3:30   10:57〜11:46    12:08〜12:27   13:43〜15:44         



昭和40年、妻籠宿は国道256号線の建設で姿を消す寸前にあった。





以下「第一法規出版・日本の町並み第五巻中部編」より引用する。





南木曽町は保存と開発を考え、専門家に調査依頼をした。


その結果、


一、宿場町の保存が良好である。

二、住民が保存に熱心である。

三、戸数が少なく(70戸)費用も少ない。


等の理由により妻籠宿は修復保存事業がはじまることになった。















基本方針は

一、観光をも目的とするが、歴史的景観の保存を一とする。

二、住民の生活向上を考慮する。

三、木曽路保存観光計画の一部として構想する。




現存建物は五種に分類された。

1・歴史的重要物で、公有化して復元保存する。

2・若干の整備・補修を図る家。

3・大幅に修復し、歴史的景観の維持を図る家。

4・現状景観を維持する家。

5・著しく不調和であり、撤去または後退が望ましい家。




















工作物については次の事を行う。

一、道路は石畳とする。

二、井戸、灯籠、石垣は現状維持。

三、電柱や看板を撤去し、規制をする。

四、生垣や立木を移植し、街道の景観を修景する

















昭和43年、長野県は明治100年記念事業の一つに妻籠宿をとりあげた。


県議会で、

一、買上げ家屋3棟。

二、大幅修理家屋12棟。

三、中修理家屋7棟。

四、小修理家屋5棟が決められ第一次保存修理事業が始まった。




















昭和45年から50年まで、

桝形跡の復元、

高札場の復元、

脇本陣の公開、

電柱移転、

第1・2の駐車場新設等が行われた。












元妻籠小学校に行く。屋根に石を乗せた民家もある。



















町を見下ろす場所に建つ元妻籠小学校。建物は現在未使用の様子。
















学校から降りた。

街道にはまだ紫陽花が咲いていた。



この付近が上町と寺下の境になる。











その上町と寺下の境に「桝形」が残る。
















桝形は「宿場の出入口に二度直角に曲げ侵入を防ぐ要塞」という説明板。














桝形ふきん。










観光客は多くはないが、その半分を外国人(白人)が占めていた。


その人たちは「妻籠」が目的地という訳でなく、


〜木曽路はすべて山の中である〜、その木曽路を歩くハイキングが目的。




妻籠〜馬篭ハイキングは9km3時間コースで、

省エネ1.5時間の道もあるようだ。




















桝形を過ぎると「寺下地区」、

昭和40年代初頭の保存活動開始時、もっとも古い状態がよく保存されていた地区。

























「暑いからここで休んでください」とおばあちゃん。親切にありがとう。


























尾又地区、ここで宿場街は終わる。西進すれば馬篭宿。













妻籠宿が重伝建の選定を受けたのは、昭和51年9月である。

この重伝建の選定基準が法令化された基礎的役割を妻籠宿は果たしたともいえるだろう。


選定基準は昭和50年11月に制定された。


妻籠は昭和43年以来、独自に保存事業を展開してきた。

昭和48年には保存条例を制定し、実施してきた。


周囲の環境は地域特色を残し、全国で異例の広範囲(1245ヘクタール)の選定となっている。






















今思えば、町並み保存は多くの町で行われている。


しかし、昭和43年当時がどうゆう時代であったかを思い起こせば日本で誇るべき活動であった事は間違いない。








道を造り、道を広げ、山を崩し、海を埋めるのが”良い”ことだった。

その時代に家並み保存を思う人がいったい日本に何人いただろう?


妻籠の取り組みは奇跡に近い、そう思う。

















妻籠の人に感謝を込めて町並みを見る・休む。

















恵那山系と宿場町。













街道の南を流れる繭川。












繭川はここより数キロで木曽川に合流する。








山々に囲まれた谷あいの宿場町妻籠は、町並みと山が一体となった見事な重伝建地区だった。






つぎ・馬篭宿



2015年8月17日