2015年5月31日   日曜日       笠岡港    飛島(洲)港    笠岡港 
笠岡市飛島   元・飛島小中学校      6:50   7:30〜10:40    11:30
       第17回 島の大運動会   〜椿と遣唐使の島へごんせぇ!〜


運動会の最初の種目、島の主張が始まった。


まず六島から。















高島は「島が無人化」する現状を話した。

重々しい叫びだった。















いっぽう

こちら華やかな”島の娘”。





可愛らしい飛島の元・乙女たち。



















波返しの天端には歓迎の飾りが置かれている。

















元飛島小中学校。

木造校舎からコンクリートの校舎に建て替えた頃から、急激な生徒の減少化が始まったようだ。


















飛島の砂洲の前。



















この砂浜ふきんから小飛島へ向いて砂洲が伸びる。





この写真に映っているのは興譲館高校の吹奏楽の生徒。

今日の運動会の演奏を担当している。










興譲館は笠岡市と元・飛島小中学校の校舎使用について協定を結んだ。


興譲館の海の家か、飛地の校舎が知らないが高校が使う事で

市にとっては有効利用、住民にとっては若者がいる、興譲館は近くて安い教育施設を得れた。















この時間は「小飛島遊覧」で、

多くの選手や観客は船で小飛島に行った。





えいちゃんは小飛島に行く時間は無かった。

今日は10時40分の定期便で帰るつもりで飛島に来ている。














校舎の二階に「飛島資料館」がある、という案内があったので見ることにした。
















「飛島資料館」に入った。


”見慣れない”金次郎さんがいた。



見慣れないというのは

「陶器」だが「備前焼き」でないこと。それに手にした本には文字まで書かれている。



ここ飛島は備中・備後・讃岐・伊予の四ヵ国の中間に位置する。

焼物は四国製だろう。













かつての「砂州」。















飛島遺跡の出土品、奈良・平安の銅貨。














これも大飛島遺跡の出土品。

















昭和2年の修学旅行。

男子は洋服化が始まりつつある。女生徒の1名が洋服だ、これは珍しい。笠岡市域初かも?




えいちゃん世代は

笠岡市や福山市の小学生の修学旅行の行先は「金毘羅さん」だった。


いかに飛島が地理的に琴平が近いことが、この古写真でわかる。


















これも飛島小学校の児童の写真。

船に乗っているのは小飛島の生徒。




昭和36年頃、小飛島にはこんなに子供lがいた。


その当時大飛島にある「飛島小学校」には児童数が120〜130人、

上級学校の飛島中学校は岡山県下で「バレーボール」の強豪校として鳴らしていた。











昔も今も海運の島、飛島。

いちばん違うのは人口減だろうか。









つぎ・島の大運動会Eシーガルズとバレーで遊ぼう



2015年6月3日