2015年4月18日  土曜日    加茂   矢筈山    津山 
津山市加茂町山下  岡山100名山・矢筈山(矢筈城跡)     8:02〜8:41    8:55〜12:52   14:03〜15:43


標高756m、断崖絶壁の矢筈山から下る。
















道路標識は一部剥げ落ちていたが、

山頂で出会った方が「慎重に見極めれば迷いません」の話の通りだった。
















「下りだけでなく上りもあります」と聞いていたので、再び登ることに落胆はなかった。















何段もの郭跡を越えて降りていると、

一人の人影が見えた。



近づくと随分重装備の50才前後の男性だった。(この方と山頂での方併せて3名が出会ったすべての人だった)









「登山ですか? 山城ですか?」と尋ねた。

即座に

「山城です!」。



神戸から矢筈城跡を訪ねた山城ファンの方だった。



山城談義を15分ほどして別れたが、

話の内容から城の攻防について相当詳しい人だった。


また山城にて必用な七つ道具のような装備も準備をしているようす。






この山道について感想を聞くと、

「今まで登った城の二番目にきつい道です」との返事だった。
















別れた後、

道は特に危険なヶ所も無く、

ただ降りる。



そうゆう道だった。


















大木が鎮座する千磐神社に降りた。ほっとした。










神社は矢筈山の知和登山コースの登山口を兼ねていて、

杖と、

立派な「登山マップ」が用意されていた。












そして千磐神社から車を停めている美作河井駅までもどっていく。







登山道がこわくて、

せっかくの城の遺構もチラッと見ただけに終わった。

山頂や土塁からの眺めも、楽しむ事はできなかった。




とにかく「無事に下山する」、その事だけで精一杯の山だった。











河井駅へ戻りながら山城ファン氏の登城の感想が聞きたくなった。


あの時、山城ファン氏は二番目にキツイ山と言っていた。

しかし、知和側から登るとあの場所からキツイ事が始まる。



河井駅へ戻った時、もしかしたら会えかなと期待していた。

そして話を聞きたかった。が会えなかった。














家に帰って、矢筈山に登った人のレポートを見ると

・・・・こわい・危険・登山技術、そういう記事の人は誰一人いなかった。




という事はやっぱり、

えいちゃんが単に怖がり、というだけの話だろうか?












お城は「天空の城」と呼ばれる兵庫の竹田城、岡山県の備中松山とは比較にならない険しい山岳にある。


城主は尼子氏に属していたが、

毛利や織田に寝返り、その都度攻撃を受け、跳ね返してきた。




落城を知らない城として、原形を留め「岡山県指定文化財」となっている。



つぎ・因美線松川橋梁



2015年4月21日