2015年1月10日 土曜日 | 吉備津神社 | ![]() |
最上稲荷 | ![]() |
奥ノ院 | ![]() |
総社宮 | ![]() |
五重塔 | ||
岡山市北区高松稲荷 奥之院 | 8:25 | 10:20 | 11:20 | 13:30 | 14:30 | ||||||
中国稲荷山鋼索鉄道(ちゅうごくいなりやまこうさくてつどう)跡 |
これから奥之院へ登る。
登る目的はお参りはんぶん、ケーブルカー跡地をたどる事はんぶん。
ケーブルカーは
現在の旧社殿付近から出発したそうで、跡形はない。
この直線の石段がケーブル跡地だったそうだ。
上から見るとこうなる。他はほとんどケーブルカーに関する跡は消えているそうだ。
ケーブルカーが出来たのは古く、昭和4年。
廃止は昭和19年、営業期間は15年間にすぎない。
営業中は中国地方で唯一のケーブルカーだった。
ちなみに
現在も中国地方にケーブルカーはなし、
大袈裟に言えば有史以来、中国地方唯一のケーブルカーだった。
廃止の時代背景は稲荷山線とまったく同じ。
”贅沢は敵だ”
に始まり
”欲しがりません 勝つまでは”
”金は政府へ 身は大君(おおきみ)へ”という時代、
旅行に行く、ケーブルカーに乗ろうものなら”非国民”の状況・背景の中で営業は休止に追いやられる。
ついには、
”アメリカ人をぶち殺せ!” (1944年)
日本が完全発狂した頃にケーブルは「廃止」、すぐさま、金属類供出の一環としてレールは国家へ献上となった。
今は参拝者が平和に登る山道も、そういう悲しい過去がある。
えいちゃんは二度目か三度目の奥之院だったが、正月だけにお参りする人(上り下りする人)が多かった。
道が整備され、歩く安く・・ただし急できびしい・・、仏や稲荷が道に沿って祀られている。
楽しみながら
苦しみながら、
廃止前後の時代を思いながら、
登るえいちゃん。
ここもケーブルカーの跡のようだ。
右手に見えるのが「ラジオ塔」と呼ばれるもの。
この付近に終点の駅があったようで、周辺には売店もあったそうだ。
山道が終わり
この鳥居からは、「参道」という感じで奥の院までつづく。
ゆるやかな参道。
石段もゆるい。
陶器の狐。
ここで最後の石段。
奥ノ院の社殿が見えてきた。
奥之院社務所。
これが奥之院、竜王山の山頂にある。
竜王山は標高287m、
山頂から市街地方や山々の眺めも楽しめた。
登ることは、予想以上にきつかったが
眺めの方は、予想以上にきれいだった。
つぎ・蛙ヶ鼻築堤跡
2015年1月12日