2014年11月16日   日曜日     笠岡駅    岡山駅    いちょう祭り  
 岡山市岡山県総合グラウンド   kankoスタジアム    8:31   9:17〜12:30     13:14〜13:55  
        有森裕子杯ハーフ・人見絹枝杯10km「「第33回山陽女子ロードレース」  



実況アナウンサーを乗せたバイクが行く。
















kankoスタジアムに着いた。ここでハーフの選手を応援しよう。
















kankoスタジアムの前に建つ「人見絹枝選手」像。

人見絹江選手は日本人女性初のオリンピックメダリスト。




それと同時に、

日本人女性初のオリンピック出場選手。


古代オリンピックは男性(の兵士)で争っていたのが要因と思うがクーベルタンは女子の参加に反対していた。




1927年アムステルダムオリンピックから女性が出場可能となった。

人見絹枝選手は日本人参加数一名、の選手。


シベリア鉄道を利用してアムステルダムへ行ったようだ。















ハーフ選手がやってきた↑↓。







白バイにつづく集音マイク。





右から2番目

赤いシャツの選手が優勝した古瀬麻美(京セラ)選手。











ハーフマラソンは出場48人。
















選り抜かれた選手があっという間に通り抜けた。









では、kankoスタジアムに入ろう。











おや選手がいないな?どこだ?
















いたいた!

ハーフのスタートから15分後に10キロがスタートする。

















スタート前の緊張を楽しむ選手たち。












トラックへ。









トラックに整列した。


















RSKのカメラマンも真剣。















スタート2分前。


















スタートラインへ移動。スタジアムは緊張してきた。


















”よーーーい!”
















”スタート!!!!!”















スタート後

選手は会場を一周半してスタジアムを出る。












トップを走るグレース・ブティエ・キマンズィ(スターツ)。ケニア出身。











まさに彫刻家が芸術にするようなランニングフォームだ。↑↓ 見事というよりも「美」を感じる。


















10キロは113人が出場。















後位を走る眼の不自由な選手。














人見絹枝選手の名は小学生の時、母から聞いて知った。


母より一回り上の年齢で、戦前の岡山県の才女が集う「岡女」(のちの一女)の出身。




人見絹江選手時代、

女性が「太もも」を露出することに世間から偏見を受けた、本人は後の時代を見据えた強い意志があった。


スポーツにも社会にも強かった”先人”、

惜くも24才で亡くなっている。







アムステルダムから86年、

日本女子のトラックでのメダルは一度も無い。













スタートからグラウンドを出るまで。














カンコースタジアムを出てから総合グラウンド内をほぼ周回する。
















有森裕子選手像の前を走る10キロ選手。








つぎ・「第33回山陽女子ロードレース」BC


2014年11月17日