2014年9月10日  水曜日     高野山   河内長野    富田林    阿倍野・湊町    笠岡着 
大阪府富田林市富田林町 「富田林寺内町」 7:45〜10:32   12:31〜12:58    13:14〜14:53    15:13〜17:20     21:28



大阪の富田林といえば、関西以外の人にとっては

10万発の”PL花火”と、

高校野球の”PL高校”の街。



(近鉄・富田林駅)





じつは、それに加えて、

国の重要伝統的建造物群保存地区がある街。



そこが、”寺内町・富田林”。


寺内町は近畿・北陸に多く、戦国時代に寺を中心に発生した自治都市の町。








(近鉄・富田林駅)







富田林は永禄年間(1560年頃)に興正寺が中心になり、土塁をめぐらせて町を作った。

今も当時を引き継ぐ町並みが残り、重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。








(近鉄・富田林駅)




はじめ駅前に出た↑、

ところがどうも違うようで

踏切を越えて裏側の駅に行った↓。





こちら↓が駅前か駅裏かは不明だが、「寺内町」がある方の駅。













寺内町は、富田林では「じないちょう」と言わずに「じないまち」と読む。


場所は駅から徒歩5分程度離れた場所。



そこに南北6筋、東西7町という「じないまち」がある。



















大阪阿部野橋から30分の距離なので、

「じないまち」は歴史に埋もれた町でなく、生活のある町になっている。
















町は南北350.


東西400m。














江戸時代は南河内で一番の商業都市として栄えた町。


米・綿・菜種の集積、


醸造・米屋・布屋・紺屋・油屋の商人・職人が住んだ町。




町は幕府直轄の自治都市で町役8人で町政を運営したそうだ。


















「かぶと屋根」を持つ豪商が左右に建つ。奥谷家の本家・分家。













町は碁盤の目で、その中心の通り「城之門筋」。











「城之門筋」は「日本の道百選」にも選ばれている。
















城之門筋を歩く。





この動画でも四つ角が少しズレているのが分る。「あてまげ」。

あてまげは半間ずらし、直進を妨げるのが目的。














東筋に行く。
















佐藤家。

















越井邸。



















「じないまち」からは、このように西方向にPL教の塔が見える。























「城之門筋」に戻る。この通りには電柱が無い。














田守家。









つぎ・”重伝建”富田林・寺内町A



2014年9月14日