2014年9月19日 金曜日   岡山県倉敷市真備町川辺                
笠岡    神辺    川辺宿  清音  法界院 西大寺   笠岡   
 6:59   7:31〜8:23    9:24  〜   10:23   11:08〜12:35    13:12〜14:42    15:55   



見事な川辺の田園風景。








こんなのどかな川辺だが、

国道沿いに来れば一変





大型店・小型店があふれるようにつづく。





ディオ、マルナカ、コメリ、ザクザク、ニシナ

(どれも「片仮名」の名だ)









国道から旧道に行く。















江戸時代(およびそれ以前)には山陽道。



立派な石碑が建つ。








脇本陣↑に本陣↓。

矢掛と違い、どちらも「跡地」だ。










石碑の右隣には、

明治26年の洪水で町も資料も全部流されたと、説明板がある。



ほかに

大河・高梁川に接する川辺宿は、

「川の氾濫で矢掛以上の賑わいがあったのではなかろうか」とあるが、それはおかしい。


なぜなら

川の氾濫を理由にすれば高通川の矢掛よりも、小田川沿いの七日市や西江原新町の方が賑わう事になる。







川辺宿の本陣跡地から見る東、突き当たりが高梁川の土手。

 













土手には「一里塚」跡。

















一里塚跡地から橋が二本見える。

新旧の「川辺橋」。



手前の川辺橋を渡る。













それがこの古い「川辺橋」。昭和初期のトラス橋。





古い川辺橋は下流にある霞橋と同じで「人」「自転車」の専用の橋。


えいちゃんが渡った時は、他に誰一人いなかった。









新しい川辺橋は多くの交通量だ。












ところでトラスは橋の真ん中で無くなった。















川辺の高梁川は、このように中洲が多く

江戸時代の人は参勤交代の武士に限らず、みんな大変。




大きな川はまず、一度の船渡では不可能。船に二度か三度乗って渡る。



川渡が連続する山陽道を避けて内海航路が盛んだったのは容易に理解できる。












川辺橋から見る井原線「高梁川鉄橋」。




井原線の土木工事ではもっとも美しい場所。

橋の近くから見れば、右岸左岸問わずすばらしい景観となる。











川辺橋を渡った。





倉敷市から総社市になった。




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2014年9月21日