2014年6月25日   水曜日  10:00頃
笠岡市吉田  



吉田の宮地下池。

水面に映る山影がきれいだ。
















うっそうとした参道に常夜灯が整然と建っている箱田山神社。


















今日は吉田の紫陽花を見に来た。








紫陽花は各家の庭に咲いていたが、公園と違って撮りにくい。











旧県道にある「吉田バス停」。
















仁吾から土井ヶ市へ向かう。
















土井ヶ市に咲く立葵。









ところで

2014年の6月の出来事と言えば


群馬県の「富岡製糸場」が世界遺産に登録が決まった事。



テレビニュースによれば

いきなり群馬県富岡市に、観光見物人が大挙して押し寄せているようだ。




そんなニュースを見ると、今は消滅してしまった感がある身近な繊維産業を思い起こす。



笠岡には

昭和末期まで「敷島紡績」の工場があった。

各家庭には「糸車」が昭和前期まであった。


終戦前後まで「桑畑」があった。「綿花」畑もあった。



戦後の童謡「かあさんの歌」、かあさんが夜なべをして・・・の、あの歌。

二番、

かあさんが
麻糸つむぐ
一日つむぐ
おとうは土間で
わら打ち仕事
お前も がんばれよ


糸をつむぐのは家庭であり、工場だった。


現在笠岡市内に生糸に関する名残や遺産は、産業や生活の遺産と認知されることも無く、ひっそりと残っている。






その一つに住宅がある。








桑畑は主にタバコ畑に変わり消滅したが、

桑畑で桑を栽培する農家には蚕室があり、その建築物が残っている。屋根の形で一目でわかる↑↓。



蚕室は長屋とかハナレの建物でなく、母屋に設けられている。まさに「お蚕さま」であった事が彷彿とさせる。












これと同様に時代や産業構造の変換により、当たり前のように存在していた建物で無くなったものも多い。


木造の学校もそうだ。

小さなものでは水車小屋、名菓干しイチジクのうむし小屋。麦稈真田のうむし小屋はかろうじて(えいちゃんの知る範囲)市内三つ残っている。





つぎ・長福寺の紫陽花



2014年6月25日