2014年2月23日   日曜日      大仙さん    乙島    円通寺   
倉敷市玉島乙島水溜  9:28〜10:11    11:17〜12:13    12:43〜13:37   
                 


大仙さんの後で、天気がいいので玉島に行く。

乙島の高射砲跡を訪ね、その後で円通寺で梅を鑑賞する。






高射砲跡がある場所の地図をコピーしていたが持ってくるのを忘れた。

それで乙島に着いてから少し彷徨した。




これは三千鶴酒造。














庭先にのんびりした様子のおじさんがいたので高射砲跡地を尋ねると、即座に教えてくれた。




あの火の見櫓が登り口で、案内板もあるという。















火の見櫓に着いた。

立派な説明板があった。















山頂に見える中電の鉄塔。あそこに砲座が残っている。

















墓地の石垣の道から始まった。

















荒神社に着いた。





ここ乙島水溜は、長く中国銀行の頭取を務めた「守分十」氏の出身地で

氏が寄付した記念碑の多さが目立つ。この荒神さんの修築もそうだ。










荒神社から見る乙島水溜地区。














荒神社から見る新幹線方面。船穂のブドウハウスが正面に見える。














現役の様子の井戸。

源平時代は島だったのだろうか。













磐座。

その隣には古墳が並ぶ。










それの古墳がこれ。横穴式古墳だが奥行きが少ない。案内標識がほしいところだ。




















そして鉄塔に着いた。すぐに高射砲跡は見つかった。

















これが乙島の高射砲跡。









直径は9m、深さ2m、12.7cm高射砲が設置されていた。













上から見る高射砲跡地。


















では砲座跡にう降りて行こう。









内部から見る高射砲跡。













コンクリートに骨材はあるが、鉄筋は無い。














標準的な砲座で、保存状態は良い。

砲は終戦すぐに撤去されている。
















砲座跡の真正面に玉島火力がある。














中電鉄塔を挟み、もう一つの砲座跡。

こちらは9割がた埋っている。というか一部が露出している。










昭和20年6月の水島三菱航空機が空襲の際は撃墜ゼロ、損傷十数機の戦果があったそうだ。

(昭和20年6月22日午前8時過ぎ、B29が108機で爆撃した)










当時というか、昭和の高射砲は国民を守るためでなく軍事施設とその関連施設を防御するためで

国民は虫けら程度の生命だった。


その点、明治の要塞は軍事施設と国民の両方を守っているように思える。


つまり時代を経て日本軍・軍人は進化でなく退化している。
















なお、最初場所を尋ねたおじさんは自宅前でえいちゃんが帰ってくるのを待っていた。






おじさんによれば、

「町内の老人会が10人位でボランティアで保存活動をしている。

幸いなことに中電鉄塔があるので、周辺を中電がきれいにしてくれるので助かっている。


砲台跡は道口にもある。しかし遺構は無く遙照山の登り口に説明板があるだけ。」



との事で、

砲が発射された様子をうかがうと「水島に向けて撃っていたが、その時はまだ私は生まれていません。」

失礼な質問をしてしまった。





つぎ・円通寺の紅梅




2014年2月24日