2014年1月24日 | 用之江 | ![]() |
大 | ![]() |
吉浜 | ![]() |
金浦 | ![]() |
笠岡 | (往復) | |||
笠岡市吉浜 | 9:45〜13:19 | ||||||||||||
幕末の偉人・関藤藤蔭(せきとうとういん)先生の生誕地、笠岡市吉浜。
江戸時代の浜街道が通る。
街道の裏に山陽鉄道が敷設された。
昭和の初期、路線のカーブを緩くするためレールは北へ移動した、その跡が↑↓。
山陽真珠の工場付近から見る山陽本線と金浦小学校。
万世橋から見る山陽本線。
吉浜干拓の潮止堤防だった「土手」。
土手の元・金浦町役場から見る電車。
敷設当時も今も、海上を走る線路の場所。
海と吉浜干拓地の境にある「お清明神」と「白馬様」。
お清さんは人柱で、白馬は”馬柱”。
江戸時代初期の干拓で「人柱」だけでは工事が完成できない程の難工事だったのだろう。
干拓地の遊水地を行く電車。
遊水地に接した金浦小学校。
こちら金浦中学校。
線路幅を緩くした場所、上りの電車が来る。
湾頭の家並みと電車。
銀山の踏切を行く電車。
用之江川から有田方面を見る。
吉浜干拓の一番奥付近。
吉浜と大≠フ境になる。
吉浜の地名の元になった葦が、400年前はあたりを覆っている浅瀬であったのだろう。
2014年1月26日