2014年1月24日 | 用之江 | ![]() |
大 | ![]() |
吉浜 | ![]() |
金浦 | ![]() |
笠岡 | (往復) | |||
笠岡市用之江 | 9:45〜13:19 | ||||||||||||
県境を行く山陽本線の上り電車。
西を向けば広島県。
東は岡山県。
国道2号線と山陽本線が並行する写真右半が福山市大門町、左半分が笠岡市用之江(もちのえ)。
今日は「撮り鉄」をする。
それには理由があり、今年の「笠岡路上観察会」のテーマが”鉄道”。
で、その第一弾として今日用之江から笠岡まで沿線で風景写真を撮る。
用之江から見る2号線の県境のゲート。
広島県から来ると最初の横断歩道。岡山県で最も西の横断歩道。
鉄道と国道を併せた歩道橋。
その歩道橋から見る東・笠岡方向。
西・福山市大門方向。
天神端踏切付近を行く電車。
天神端踏切と、国道2号線が井原・茂平に分離するところ。
これが天神端踏切で「アメリカ屋の前の踏切」と呼んでいた。
アメリカ屋の前の踏切は危ない(くぼんでいて左右が見えにくい)ので子供は渡ってはいけない事になっていた。
踏切を渡ってから見るアメリカ屋。
小学生の時、たぶん2年生だったと思うが。
この付近で学校全員で天皇陛下をお迎えしたことがある。
およそ400人位の生徒は白地に赤く日の丸をクレヨンで塗ってお迎えしたが。。。。。。。
お召列車は轟音と伴に走り去った。
あれは何だったのだろう?・・・・今でもそう思う。
生前父は、「戦地に赴く時は母校があれば汽車は速度を落としていた」と話していた。
小国民と兵隊さんは沿線で激励挨拶ができていた。
これは用之江跨線橋。
山陽線と2号線をまたぐ。
かつて、ここに踏切があった。
えいちゃんは保育所、小学校、中学校と計10年半学校に渡って通った。
けれど、10年以上毎日通った踏切の位置が「この付近」まではわかるが
「この地点」に踏切があった、という記憶は何度頭をひねっても戻ってこなかった。
2014年1月25日