2014年1月10日 金曜日 佐賀県唐津市鎮西町 「名護屋城跡」 | ||||||||||
笠岡発 | ![]() |
佐賀市 | ![]() |
鎮西町 | ![]() |
呼子町 | ![]() |
唐津着 | ||
3:40 | 10:37〜11:38 | 13:19〜15:12 | 15:28〜16:22 | 17:30 | ||||||
東出丸から眺める。
本丸に行く。
大手門跡。
天守台、ここに五層の天守閣があった。
天守台からは各大名の陣地が海に向かって競うように並び、彼方の大陸に向いてる。
天守台の敷石。
天守台から見る名護屋城の石垣。
三の丸へ下りていく
「崩れしまま」の石垣が果てにある太閤の夢を想像させる。
建物はいっさい残らず、再建もされず。江戸初期に廃城した姿のまま残っている。
廃城は四隅の石垣と天端の部分を中心に壊された。
太閤亡き後の一国一城による廃城と、
島原の乱による、再発防止のために壊されたようだ。
命綱をつけて石垣の間の雑草を摘む清掃員。
名護屋城の清掃員の軽トラック。
池に映る名護屋城跡。
こちら名護屋城博物館、無料。
ちょっと建物の度が過ぎる県立の博物館。
展示品では安宅船に見ごたえがあった。
博物館から見る名護屋城。
太閤秀吉は1年2ヶ月間この城で指揮を執った。
2014年1月16日