2013年11月19日 火曜日 | 福山SA | ![]() |
潮崎神社 | ![]() |
本庄神社 | ![]() |
今伊勢宮 | ![]() |
はきもの博物館 | ||
福山市松永町5丁目 | 9:00頃 | 10:00頃 | 10:40頃 | 11:30頃 | 12:30〜13:45 |
常夜灯「金比羅神宮」、今も松永港のほぼ真ん中に建つ。
常夜灯から見る松永湾。
貯木が浮かぶ松永を代表する風景。
ここが海と陸の境。元は塩田と海の境。
倉敷市の児島地区のように、塩田廃止後は広大な平面の用地が残され
近代化した今は都市の中心的な商用地に変わっている。
海の前面は浦崎半島と向島に囲まれ内海的な地形で、写真は向島とその高見山。
湾の東側、柳津に行く。
そこに「潮崎神社」。
現在は「松永五丁目」に潮崎神社はあり、昔は「松永東町」であったのだろう。
玉垣に「石炭仲仕中」と刻まれている。
産業物資もこの付近に貨物船が来ていたようだ。
「潮崎神社」の正面鳥居と注連柱。
境内には敬宮内親王・愛子さまの誕生記念碑と記念樹がある。
愛子さま誕生記念の碑は珍しい、えいちゃん初見かもしれない。
それにしても、皇太子の子として生まれながら、その相続権(天皇)が愛子様にない天皇家は
現皇太子が天皇として崩御する時代には、皇室の存在が国民に納得できるとは思えない。
敬宮内親王・愛子さまへの相続が天皇家を守ることと、えいちゃんは思っている。
珍しいとえば「記念錨」。
支那事変(盧溝橋事件)時のものだ。
盧溝橋事件後に事実上の日中戦争が始まり、内海航路の船も船員も戦争に徴用されたものがある。その碑だろうな。
境内には戦争慰霊碑もある。
「慰霊碑」の下部分↑はこのような↓碑文になっている。
これは本当だろうか?
「国のため 命ささげし人」がいたのだろうか?
いたとしたら、極少数だと思う。
おおかたの人は
「国のため (無理やり)命ささげし 人」であり、
「国のため 命ささげ(させられた) 人」であったと思える。
碑文の文は戦前の国家プロパガンダか、戦後の鶴田浩二が演じる映画の人だ。後世に誤ったシグナルとなるような気がする。
潮崎神社は海と入川に囲まれている。
古い町並みが残る羽原川沿い。
今日は川沿いでなくなく、町並みを通ってみよう。
2013年11月21日