2013年10月2日 水曜日 | イオン | ![]() |
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吉備路 | |||
倉敷市船穂町水江 「高瀬通し」 | 8:49 | 9:20〜10:53 | 11:10頃 | 11:50〜12:41 |
「水江の渡し」から、
「一の口水門」と「船穂ワイナリー」に行きたいと思っている。
現在工事中の「渡し」の下流側に出来ている橋。
手前が山陽自動車道で後方が山陽新幹線。「柳井原貯水池」。
柳井原貯水池から300m程、水江の渡しから数分程
そこに「高瀬通し」の「一ノ口水門」がある。
備中松山を出た高瀬舟が、高梁川からこの水路に入る。
これが備中松山藩が江戸時代初期に築造した「高瀬通し・一の口水門」。
写真一番先に見えるのが二の水門。普段は水路で、月に何度か高瀬舟が運行する時は閘門式運河。
一の口水門から9km、玉島港まで水路はつづく。
二の水門↑↓。
二の水門にある「運河・高瀬通し」の説明板。
「大正14年に伯備線が開通により終わる」と書かれてあるが、違う。
もしその理由が正しければ、小田川の高瀬舟は現在まで続いている。
高瀬舟は川登りは特に重労働で、下の絵のように岸から船を引っ張った。
二の水門のすぐ近くに白神源太郎記念碑がある。
日清戦争で「死ンデモラッパヲハナシマセンデシタ」の初代ゆうか、
ノンフィクションの兵が白神源太郎。
戦前の船穂町では最大の偉人。
作り話になって、名は「木口小平」となり、戦後まず教科書から消え
今では名さえ消え去られた。
2013年10月3日