2013年7月23日 火曜日 | 琴の浦・港 | ![]() |
琴の浦・緑 | ![]() |
塩田潮風 | ![]() |
ジーンズストリート | |
倉敷市児島下の町 | 9:00頃 | 10:00頃 | 11:00頃 | 11:24〜12:27 | ||||
資料・倉敷市「くらしき まち歩き さと歩きマップ」児島下の町地区 潮風コース |
次は下の町地区の「潮風コース」を散策する。
(国道430号線・ハローズ横)
このコースは、”地元の経済を支えた大規模塩田の跡地を歩く”というもの。
児島から塩田の名残がほとんど無くなった。
「瀬戸大橋」(および瀬戸大橋線)の工事が始まる頃、至る所残っていた未利用(用無し)の塩田跡地はいっきに開発され、あっとゆうまに消えてしまった。
今日、児島を散策して思ったが塩田王・野崎武左衛門の屋敷以外は(児島の)市民からでさえ伝承が薄い感じがした。
倉敷市の倉敷・水島や玉島地区の市民には尚更だろう。
この入江の左右はすべて塩田だった。
(国道430号線・新常盤橋から)
児島はかつて、
香川県の坂出等と並び日本有数の塩田地帯だった。
(国道430号線・新常盤橋から)
写真左手に↑、丸亀製麺が見えるが
この付近に児島繊維産業の発祥と言われる「下村紡績」の工場があった。明治15年下村塩田に建設された。
近代の児島は、
町の海側が塩田、北側が繊維産業として栄えた。
堀江港付近の汐入川。
堀江港から沖へ下村塩田は伸びる。
現在は住宅と工場が並んでいる。
下村塩田の一番先に「下村港」がある。
下村港の一文字防波堤。文久3年建立という常夜灯。その向こうは瀬戸中央自動車。
下村港から見る四国(坂出・高松境付近)、
玉野市日比から下村港まで、そこから四国がいちばん近い距離となる。
下村港の桟橋は手づくり感がする。
発泡スチロールに板を乗せたもの。
下村港と民家。
ここは元・十八番浜と呼ばれる元塩田。
昔は神社もあり若者の逢瀬の場所だったそうだ。
十八番浜から見る向かい側の塩田跡地。
そして新常盤橋に向かう。
写真でもわかるように↑↓、護岸は塩田当時のまま。
そして地形も塩田当時のまま。
瀬戸大橋工事前まで残っていて、今は跡形ない元塩田だが「地形」と「護岸」はしっかり保たれている。
絵図や写真入りで要所に説明板が設置されると、もっとよくなると思った。
なにせ、題になっていいるように『地元の経済を支えた』産業遺跡。伝えていく義務がある。
新常盤橋近くのハローズ児島店。
もちろん、ここも元塩田。
駅家付近に多かったハローズは、福山市全域に広がり、更に早島インター口に物流センターを建設し、
今は四国へ進出中。
マルナカの逆コースで店舗を進出している。
2013年7月24日