2013年7月10日    水曜日    9:40〜12:35
高梁市内山下      小松山城〜大松山城


松山城は「日本一小さな天守閣」だったが、今や


「日本一高い現存天守の城」として知られるようになった。









松山城以上に高い山城や城跡は、数えきれないほどあるが



これも備中松山の先人たちが天守閣を文化財として保護してきた賜物だろうな。




「日本100名城」や「日本三大山城」にも選定されている。



















松山城から「大松山城」へそのまま向かう。













松山城から下って、

石垣に架かる橋を渡る。














今度は上っていく。
















登城の道の左右には低い石垣が多く残っている。















「天神の丸跡」、

郭が残っている。












天神の丸の「堀切」を行く。


















吉備高原の山間の村が望める。道からは標高を感じる眺めがあった。


















「大松山城跡80m」の標識。ほぼ着いた。

















ここが「大松山城」の跡。郭が二重になっている。
















本丸跡(と思う)、

城の案内図や説明板はいっさいない。












本丸跡は草が生え、

かろうじて「吊り橋」が見える程度だった。






来る季節を間違ったと思った。


夏草が茂る城址では、その周囲を見まわることも出来ず

葉っぱが邪魔して眺めも無い。








という訳で早々に下山開始。

次は冬に来ることにしよう。











松山城二の丸まで戻った。










「石落し」が道の真上にある。














三の丸付近の登城道を下る。
















往復の道は変化をつけて、車道を降りて行った。





結局今日は

猿にも

イノシシ・鹿にも

会うことはなかった。


臥牛山の猿はどしたんだろう?暑くて動いてなかったのかな?











「城見橋公園」付近。

土日の車両は、ここで有料の専用バスに乗り換えてお城に登る。














お殿様が住んでいた「御殿」跡である高梁高校。













そのすぐ下にある「高梁日新高校」。城跡に二つの高校が並ぶ。











観光駐車場にもどると係りのおばちゃんが

「長ーーーい、のはいませんでしたか?」と尋ねてきた。


「いました。けどハミは見ませんでした」

「いるんですよ。




でも、道のまんなか歩いていれば大丈夫です」



ほんまかいな?







(本町町家通り)





家を出る時は、

復路は倹約して国道313号線で帰ろうと思っていたが、この暑さじゃ早く家に帰ってシャワーの必要がある。


頭もがんがんする。倹約できず復路も高速道利用となった。




明日はもっと早くスタートしよう。





つぎ・御調銀山街道@AB



2013年7月12日