2013年6月8日   土曜日        関宿   伊賀上野    篠山 
三重県亀山市関町   重伝建 「関宿」     6:17〜7:31    8:22〜10:07    13:37〜15:54



道の駅・関宿では朝の市の準備が始まった。





国道1号線に沿って道の駅とJR駅が並ぶ。

東海道53次のうち47次の宿場町・関は国道から300m程北側に当時そのままに残ることで有名な町。





もちろん国の重伝建にも指定されている。






ではJR関駅前から旧東海道へ向かう。





正面突き当たりが旧関宿だ。
















駅から突き当る場所がほぼ関宿のまんなかで、「中町」と呼ばれる。

この写真は左手(京都方向)を見たのも、鈴鹿山系が見える。













こちら右手、(江戸方向)木崎町方向を見たもの。

















関宿の町並み案内図。






なにせ東海道と言えば他の街道とは意味合いが違う。


ましてや事実上は航路が中心であった山陽道とは宿場の規模も違うだろう。そんな思いで関宿を訪ねた。










まずは宿場の東まで行ってみよう。


















アンテナや電信柱も無くすっきりした町並み。

まさに”重伝建の町”。
















ここが宿場の東の端。鳥居があるが、ここから伊勢街道と分離する。






関宿は東海道の宿場であり、伊勢街道への入口の宿場。



江戸時代には京都・大阪からの伊勢参り、

笠岡からお伊勢参りをする人たちもこの鳥居を通り伊勢に向かった(可能性が大きい)。






江戸からの伊勢参りは四日市にある「日永の追分」から分離、

「松阪の一夜」の賀茂真淵先生や、弥次さん 喜多さん もそうだ。(たぶん)











伊勢街道の起点となるこの鳥居は伊勢神宮から移されたもの。


今年は「式年遷宮」の年だから、秋ごろには伊勢神宮から遷される。














ここで引き返し、


今度は西の端まで行ってみる。



関宿は東西1.5kmある。

街道の左右に和風住居が途切れなくつづいている。

















浅原家。江戸屋、米屋材木屋。













馬つなぎ。
















深川屋


「関の戸」というお菓子を350年続ける。
















高札場跡。

村に残る高札場と違い、城下町の中心にあるのと同じ規模。大きな高札場。



















静かな宿場町に大きなラジオの音が聞こえる。

お寺でラジオ体操がはじまった。

















「新所」と呼ばれる宿場の西側の町並み。






新所は中二階が多い関宿でも、平屋の方が多くなる。












ゴミステーション。


この宿場町は、ほぼ全家が生活住居。笠岡市中央町よりも住居密度は高い。















ここが関宿の西の端。ここで国道1号線に合流する。








こうゆう関宿だった。




朝が早かったので宿場町には観光客はえいちゃんだけ、通りには人の姿すら見なかった。


本で見たりした予想通りの「関宿」だった。



東海道の宿場がよくここまで残ったものだという感想と、

残って保存しながら生活しているとこが素晴らしい。







えいちゃんが関宿を去ろうとしたら、ようやく本日の観光客がやってきだした。








多くの観光客が関宿を訪れるが、えいちゃんが見た関宿とは違う。



えいちゃんの見た関宿はまだ活動前の関宿だったからね、町がどんな顔をしてるのか?

残念ながら・・・それは見ないまま去る。




つぎ・伊賀上野鍵屋の辻



2013年6月16日