2013年6月5日 水曜日 和歌山県牟婁郡太地町 | ||||||||||||||
笠岡 | ![]() |
白浜温泉 | ![]() |
千畳敷 | ![]() |
串本 | ![]() |
橋杭岩 | ![]() |
太地 | ![]() |
熊野速玉大社 | ![]() |
新宮 |
3:40 | 9:10頃 | 10:00頃 | 12:50 | 13:10頃 | 14:10頃 | 15:40頃 | 16:21〜17:36 |
太地(たいじ)には是非寄ってみたかった。
あの「くじら」の漁師町に行ってみたかった。
これが太地漁港。
港の近くに公民館と役場がある。
これが太地の町。
通りの名は「ブルーム通り」だ!
「くじらの町」に来てみたら、
漁港は小さく、
町は漁業の香りすらなく、おまけにカタカナの通りだ。
標識により「くじらの博物館」方面に行く。
ここが博物館、周辺は大駐車場や公園化されている。
博物館の前に「太地物産センター」とリゾートホテル。
それに「太地くじら浜公園」、
くじら浜公園は全体が不明なほど広い公園になっている。
そこに!
捕鯨船・第一京丸!
今の子供たちは(ここでは男子)
大きくなったらサッカー選手や野球選手になるのが夢だが・・・
ほんのいっときかもしらんけど・・・・
えいちゃんたちが子供の時
大きくなったらキャッチャボートの射撃(船首にある砲)手になるのが一番人気だった。
その頃は捕鯨会社も有名で、
大洋漁業はプロ野球をもち
日本水産は赤胴鈴之助のスポンサーだった。
えいちゃんの食生活はといえば
朝昼晩が鯨またはママカリ。
たまに浜で採るアサリ。海の物はそれですべて。
鯨もママカリも今ほしいとか食いたいとかは全く思わない。
それほどに、毎日・・・食べたのでなく・・・食わされた。
食べたいとは思わないが
「くじらの町」に関心はある。
明治の初め頃までは
九州や四国でも沿岸で油を目的に捕鯨をしていたが、
えいちゃんたち世代が家庭や学校給食で食べるのは南氷洋だった。
太地からは捕鯨船団の乗組員として参加していたのだろう。
太地は有名な観光地、那智勝浦の隣町になる。
くじら浜公園から勝浦行の船も出る。
くじら浜公園には画家の「石垣記念館」もある。
この画家の妻は評論家の石垣綾子だそうだ。
なお、太地町の出身者に女優の「太地喜和子」がいる。
若く亡くなったがいい女優だった。
2013年6月13日