2013年3月14日    木曜日  13:25〜15:01
福山市神辺町川南・川北  丁谷(ようろだに)〜吉野山公園


吉野山公園にはいつも車道を登っているので

今日は、神辺公民館側からの山道を初めて登る。












この神社が登山口。


左の注連柱にはなんと”国家安康”が刻まれてある。




”国家安康”は、徳川家康の「家康」の間に文字があり、家康を分断するものだと屁理屈を言われ

大阪夏の陣の発端になった。


この神辺の国家安康は明治36年に建立されている。










あまり利用者はいないような登山道。








この公園には健康目的で登る人も多いが、車道の方が登りやすいのと

花や眺めがいいからな。

















山頂手前でやっと視界がひらけた。神辺駅方面。












横尾方面。
















登山道が終わる場所、銅像がある。





吉野山公園でいちばん見苦しい。


社長としての銅像なら会社の敷地内に建てばいい。この場所に個人像はまっくの不釣り合い。

町長としての銅像なら碑文から企業名を削除して豊姫神社の重政議員の隣に移転。









このように

天も恐れぬ銅像だ。






下を見る。
















では下山する。今日は花見の遊歩道が通れそうだ。草を刈ってある。





御領や高屋の眺め。









「雲中橋」、誰が名付けたか? 風流な名の橋。












橋の名に負けないように景観もいい。雲中橋から見る吉野山公園の麓側。











雲中橋から見る歴史資料館。







桜の名所「吉野山公園」は、この雲中橋から見る桜がいちばん綺麗かもしれんなあ。










公園から下りてきた。


「管茶山の墓」の標識があり、行ってみる。













竹林の中に樹齢200〜300年の楠木の大木。




太い幹の根元付近に管茶山先生の墓地はあった。






ところが・・・・・







どのお墓も管茶山先生の立派な一族の個人墓で、

茶山先生の墓がどれか、というのは分らなかった。






「広島県史跡・管茶山の墓」との標識であるが、実態は管一族の墓だった。




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2013年3月19日