2013年2月11日 月曜日 8:35〜12:11 主催・にいやま史跡探訪とウオーキング実行委員会
笠岡市山口 新山公民館 「第14回史跡探訪とウオーキング 疎塊村大之平を訪ねよう」
「疎塊村」という言葉は、えいちゃん初めてだった。
最初は大之平という場所柄、戦時中の「学童疎開」かと思った。それなら疎開と疎塊で漢字が違う。
「疎塊村」とは
集村・・・人家が一ヵ所に集中。
散村・・・人家が分散。
塊村・・・人家が不規則な塊。
という分類方法からの呼び名だそうだ。
(大之平が塊村でなく、なぜ疎塊村かは?・・聞きそびれた)
大之平には源平藤橘の藤井氏と鶴藤氏が住んでいたそうだ。
鶴藤氏は南を向いた吉田側に家があり、藤井氏は北側で長迫に属していた。
戦時中に藤井氏は住む人が絶えたが、昭和30年頃まで農作業は行っていた。その後は自然に戻っていた。
吉田側の鶴藤氏は今も大之平に住んでいる。
舗装道路に出た。
鶴藤氏が住む大之平で、笠岡市吉田になる。
ここでは地球誕生以来の地質学の説明があった。
カラーで立派な資料だった。
またまた山に入っていった。
ここで「五輪塔群」、年月が経ち完全な五輪塔はなかった。
その近くの「墓石郡」。読み取れる文字でいちがばん古いのは”享保”時代のものだそう。
次は「武家屋敷跡」に行く。完全な竹林。
ここが「武家屋敷跡」。
1年ほど前、えいちゃんもここを目指して来たことがあるが、こんな場所にあったんだな。来れなかったはずだ。
武家屋敷跡に残る「井戸跡」。
これにて今回の探訪ウオーキングの訪問場所は終了。
来た道を戻る。
今年は訪問先がちょっと少なかったな。それに脚をあまり使わなかった。
誰かが「6000歩いってないわ」と言っていたが、5000歩程度じゃあ疲れない。
でもそれは、年により脚に軽いコースと、きついコースが出るのはしょうがない。
この「日の丸バス」三台で新山公民館に帰る。
公民館では恒例の
握り飯二つ
トン汁一杯
が待っていた。
「おかわり」を募集したのでトン汁は二杯目をいただいた。
食べた後、会長さんの挨拶で終了解散となった。
つぎ・遥照山@
ABC
2013年2月11日